エレファンツヒートゥ 〜火頭象〜
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第五話・おいでませ十二宮!チキチキ大掃除レース開始の巻・1
(注!一部、スプラッタ的な描写などが含まれます)
青歌が夢見た記憶の女性「プロセルピナ」とは一体何者なのか。一方、登野城青歌を十二宮へと迎え入れるための準備は・教皇アイオロスの手によって着々と進みつつあった!シュラの耳元に悪を囁くアイオロス!ああシュラよ。その頑張りがアダとなる!


 

 

 

フワフワした彩りの花々が咲き乱れている、見渡すばかりの平原。

 

 

その中に、あたしは一人で立っていた。

 

 

あれ、これってもしかして。

 

 

 ・・・・・・臨死体験の番組とかでよく、一度死んで甦ってきた体験者が「気が付くと見渡すばかりの花畑の中に立っていました」みたいに喋っている、あの、死後の世界の花畑とかだったりして。

 

 だってほら、そこにが流れてる。

 向こう岸が見えないほど、まるで海のように大きいけれど。

 

 あれは

 

 

 現世と死界の間にあるという 広大なアケローンの河のはず

 

 

 そうだ。

 

この頃はまだ、このあたりはこんなに綺麗だったのだ。

 

 地上に心邪(こころよこしま)なる人間どもが増えてしまったことにより、おびただしい数の亡者どもが溢れかえって見る影もなく荒れ果ててしまった、その後の風景とは全然違う。

 

 

 

 ここは、

 

 ここは昔の、黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)だ。

 

 

 

「―――――――こんなところにおったのか、探したぞ」

 

 

 

 ああそうそう、死後の世界から生還した人たちってだいたい、「河を渡ろうとしたら自分を呼ぶ家族の声が後ろからしたので、振り返ってみたら病院のベッドの上で意識が戻り、そこには大勢の家族たちがいて私を呼んでいました」とかなんとか言うんだよね。

 

 

 あたしを呼ぶのは誰かな?

 

 

 

(・・・・・・・・・・・エエ!?)

 

 

 

 振り返ってみたあたしはそこで、ただでなくびっくりした。

 

 

 ニコニコと穏かな笑みを浮かべてそこに立っていたのは、なんとキャンサーのデスマスクだったのだ。

 

 

 

「――――――お兄様!」

 

 

 

そして、夢の中の自分が発した突拍子のない言葉にまたまた仰天。

なんでよりにもよって、あのデスマスクがあたしの「お兄様」なわけ。

 

 

「我が妹よ。そなたはいつも、花咲き乱れる場所におるな。プロセルピナ

 

 

デスマスクはその逆立った銀髪の頭の上に、おかしな形状の兜を被っていた。勇壮な鷹の双翼のような飾りを両脇に備えた、不思議な金属質でできた大きな兜だ。それはペタソスと呼ばれる神器の一つで、戦神アテナが持っている正義(イー)()()海神ポセイドンが持っている三叉(トライ)(デント)と同様、オリンポス十二神の座につくものとしての、彼自身の大いなる力の証であった。

 

 

・・・・・・。

 

・・・・・・・・・・ぬ?

 

 

ま、まあとにかく、よくわからないけどあたしの脳みそが作り上げたのはそういう設定であるらしい。

 

 

そしてデスマスクは黄金聖衣でもあの伊達くさいイタリアンスーツ姿でもなくて、その兜の翼の細工と似たような紋様のレリーフを施した、峻烈な輝きの甲冑に全身を包んでいた。それは戦いに使うものというよりは、ちょっと格式のある場所に出向くための、装飾重視の礼服みたいな仕様、という感じだった。

 

 

花の中にあたしの姿を捜し求め、嬉しそうに近づいてくるデスマスク。この夢の中でのデスマスクからは、普段のような毒気の強さなど微塵も感じられない。なんだか行儀がよく、育ちのいい貴公子みたいな印象を覚えた。

 

 

「このヘルメス、そなたの姿を探して地上をほうぼう駆けずり回ったぞ」

 

 

 ヘルメス・・・?”

 

 ああやっぱり、顔が同じっていうだけで別人の設定なんだ。

 

 

 それにしても、

 

あの強烈なあくばったさを全部抜いてしまうと、デスマスクってこんなふうになるのか。

 

 

あたしの記憶の限りでは、デスマスクとはいつも粗暴で愛想の欠片もなく、他者を前にするといつも威嚇するような眼差しを向けてくる、そういうのがなかば習性のようになってしまっているような男だった。

 

そして、そんな奴の立ち居振る舞いからは、こういう言い方もまたよくないんだろうけど、「まっとうな人生を送ってこなかったんだろうな」という(すさ)んだ雰囲気がありありと伝わってくるのだ。

 

だがそれでいて、キャンサーのデスマスクの目には、睨まれたものを総じて()(すく)ませてしまうような、そんじょそこらの人間では太刀打ちできないほどの一種独特の圧倒感も宿っていた。

 

 

この男にはそれがない。

 

 

斜に構えたりすることもなく、ただただ真っ直ぐにあたしを見据える、まぶしいほどの清廉な眼差し。

 

イタリアンマフィア風のスーツよりも白いTシャツジーパンが似合いそうな、充分普通の爽やか仕上げの人懐っこい兄ちゃんだ。

 

 

 「これからそなたが向かう新たな住みかを、眺めておったのか、プロセルピナ」

 

 

 プロセルピナ。

 デスマスクの顔をしたヘルメスは、あたしのことをそう呼んだ。

 

 

「はい」

 

 

河の向こうを見つめたまま、プロセルピナのあたしは静かに頷いた。

 

すると、ヘルメスが来たのとはまた別の方角から「プロセルピナー!どこですー?」あたしたち二人の傍へと駆け寄ってくる誰かの気配がした。

 

いかにも身分の高そうなデザインのゆったりとしたドレスをまとい、炉火にも似た紅の宝石をちりばめた宝冠(ティアラ)を頭に載せた、一人の女性が近づいてくる。

 

 

 その人の顔は・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・!!

 

 

「おお!地上における全ての孤児と迷子の守護者にして、あらゆる都市(ポリス)の鎮護をにないしオリンポス十二神の乙女・ヘスティアよ。お久しぶりです」

 

 

デスマスク(ヘルメス)がにこやかに手を振って呼び寄せたその相手は、

 

美 穂 姉 ちゃん じゃん!!

 

 

「おや、我が甥子にして旅人の守護者・・・知恵高き伝令神ヘルメスよ。明日には人妻となる妹に、最後のいとまごいをしていたのですか」

 

 

やってきた美穂姉ちゃんとデスマスクはまるで親しい旧知の間柄みたいに、出会い頭に丁寧な会釈を交わした。あのキャンサーと、星の子学園の美穂姉ちゃんが。嘘みたいな光景だ。

 

あ・・・そうか夢か・・・もともと、嘘みたいなもんだよね。

 

 

「最後などとはまた、大げさですぞヘスティア殿」

 

「・・・・・・これなんじゃ、ヘスティア“殿”とは!ちゃんと伯母上と呼ばぬかヘルメス!」

 

突然、デスマスクの頭を小突くという(!)命知らずの真似をする美穂姉ちゃん。

 

ところが当のデスマスク(ヘルメス?)は「痛!伯母上はあいかわらず遠慮ないのう」頭を押さえていかにも弱ったように苦笑いするだけだった。

 

・・・・・・”ヘスティア”?  ”伯母上”?

 

ああ、そうか。

美穂姉ちゃんそっくりだけど、この女の人もやっぱり別の人なんだ。

 

どれにしても、どういう基準のキャスティングなんだろう。

 

なんで美穂姉ちゃんがデスマスクの伯母さんなんだ。

 

 

「よいかヘルメス。いかにオリンポス十二神の座についたとはいえ、ゼウスの姉であるこのヘスティアに比べれば、そなたなんぞまだまだヒヨッコなのじゃ。それを忘れるな」

 

「はいはい伯母上。せっかく気をきかせて“乙女”とお呼びしているのに、それをわざわざ年増じみた敬称をお望みになるとは・・・アテナといいアルテミスといい、やはり、処女の誓いをたてるような女神というのは、相当変わっておるのう。な、プロセルピナ」

 

「なにかいうたかヘルメスよ?」

 

「・・・・・・いいえ、伯母上。なあんにも」

 

そして美穂姉ちゃん、いや、ヘスティアは、あたしの方に向き直った。

 

「プロセルピナ」ヘスティアの声音はなんとも威厳に満ちており、そして上品だった

 

「あなたの母デメテルが捜していましたよ。明日の婚礼の衣装を合わせねばならぬと」

 

デメテルお母様が?」答えたその声は紛れもなくあたし自身のものだった。

 

「彼女に頼まれてあなたを呼びにきたのです」

 

「まだよろしいではありませんか伯母上」ヘルメスだ。

 

「わたしは妹プロセルピナと、まだこの場で語り合いたいことがあるのです」

 

 「・・・・・ヘルメス、そなた・・・・・!」

 

 「よろしいでしょう」

 

 ヘルメスの眼光が強い光を帯びた。

 

 するとヘスティアはしばし眉間に皺を寄せ、思案するような素振りを見せていた。が、やがて用心深い口調で言った。

 

 「わかった。だが忘れてはなりませぬよヘルメス。そなたの妹は明日、ハーデスの元へと嫁ぐ身であるということを・・・彼女の外聞に触れるようなことは、間違ってもしないように、よいですね?

 

 その言葉の意味があたしには瞬時にわかった。

ヘスティアは、いかに兄妹の仲であるとはいえ、一応男と女であるあたしたちが二人きりになることによって、万が一にも間違いを犯してはならぬと念押しをしているのだ。

 

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・。

 

てか、何いってんの?美穂姉ちゃん。

 

 デスマスクと、あたしで?

 

 ありえねー!

 

 

「ではプロセルピナ、私はデメテルと一緒に神殿で待っている。あまりぐずぐずせず、早く来るのですよ」

 

 「はい」

 

 そして美穂姉ちゃんの顔をしたヘスティアは踵を返すと、蝶のように飛翔し渡っていく花びらの乱舞の彼方へと、スっと姿を消してしまった。

 

 どうやらこの花畑は相当強い気流にさらされているらしい。次から次へと風に乗った花びらが流れてきては、あたしとデスマスクの間を遮るように掠めていった。

 

 ヘルメスはしみじみとした面持ちで川面に視線を投じながら、あたしに言った。

 

 「このアケローン河の向こうは、冥界か・・・・・」

 「ええ」

 「覚悟は決まっておるのか、妹よ」

 「はい」

 

 と、デスマスクはあたしの髪の毛を「きゃあ!」後ろからくいっと悪戯するように引っ張った。

 

 「ふん、お前さんのような粗忽者(そこつもの)に、あのハーデスの嫁なんぞ本当に勤まるのかねえ」

 

 「お、お兄様!これが、今より(かわ)()こうに嫁がんとする、健気な妹になさる仕打ちですか!」

 

「なあにが健気じゃ、自分でいうな」

 

「昔から、ヘルメスお兄様はいつもいつも私にばかり、特別な意地悪をなさる!ああもう痛いわ!妖精(ニンフ)たちに結ってもらった髪がめちゃくちゃ!お兄様なんか大嫌いよ!離してくださいな!」

 

 「なにもそんなに怒ることはあるまい!!」

 

 「怒りますとも!なんといってもこのプロセルピナは、明日にはハーデス様の元へ嫁ぎ、人妻となる身なのですから。たとえ兄とはいえ、もう少し慎みをもって接していただかないと!」

 

 「フン。お前みたいな泣き虫にゃ、あの男の嫁は無理だ!」

 

 そう言うと、ヘルメスはあたしの(プロセルピナの)髪の毛から手を離した。

 

 「この黄泉比良坂の八合目あたりで“怖い、怖い、行きたくない”とかなんとか、泣きだしてしまうのではないか?ええ?」

 

 「・・・泣いているわけになどまいりませんわ。このプロセルピナ。夫となるハーデス様とともに、女王として冥界の繁栄に尽力していくとようやく覚悟を決めたばかりなのですから」

 

 「・・・・・」

 

 「ハーデス様は“死界のゼウス”と呼ばれるほどにその統治も名高く、力強き御方であるとか・・・ならば私はその隣で、せめて“死界のアテナ”と称されるぐらいにはなれるよう、尽力したいと思うております」

 

 「己をアテナになぞらえるような、そんな卑屈な物言いはやめろ。妹よ」

 

 するとひどく沈痛な面持ちになって、ヘルメスは、急にうつむいてしまった。

 

 「ほんのちょっとイタズラをしたぐらいで大嫌いとはひどいではないか。オレは、オレは悲しいぞプロセルピナ」

 

「あ・・・お兄様、泣いておられるのですか?嘘、嘘です。泣かないで」

 

 

 

そしてあたしはついうかうかと傍によって、ヘルメスの顔を覗き込んでしまった。

 

 

子供の頃から何回もこの手にはひっかかってきたというのに。

 

 

 

「ほれ隙ありじゃ馬鹿者が!」

 

 

案の定、兄はの腕を掴まえて、花咲く地面の上に強引に引き倒してきた。

 

 

「卑怯だわお兄様!」

 

 

昔から取っ組み合いでは兄には敵わなかった。

 

 

いや、すべてのことにおいて、は誰にも、他のどんな神にも、何も敵うような才能を持っていなかった。

 

だから私は、神々の頂点ともいえる、オリンポス十二神のうちにも含まれなかったのだ。

 

 大神ゼウス豊穣の女神デメテル。大いなる神々を両親に持っていたにも関わらず。

 

 

 「ははは!だからお前は進歩がないのだ!」

 

 私はヘルメスにしっかりと体をつかまえられ、花畑の上にごろりと寝転がされた。

 

 「お兄様・・・!」

 

 「いくらあいつが他の神々や人間どもから誉めそやされておろうとも、お前はお前ではないか」

 

 「!」

 

 「この兄の前でまで、“死界のアテナ”などと、そのような卑屈なことは、言わないでおくれ。プロセルピナ」

 

 「・・・・・・」

 

 

 視界を埋め尽くす花、花、花。

 

 たちはその中で寝っころがって、互いにしばし向かい合いながら、見つめ合う。

 

 こうしていると、まるで子供の頃に戻ったようだ。

 

 ヘルメス兄様は頬杖つきながら、一度は離した私の髪の毛の一房を、(あれ、あたしの髪の毛って先月切ったばかりだからこんな長くないはず)名残りおしそうに再びその手にとった。

 

 

 男の人と一緒に寝そべりながら話をするなんて、デメテル母様の前ではとてもできない無作法だ。けどここにいるのは、行儀の悪さにおいては右に出るもののいないヘルメス兄様に、その兄と生まれた時から親しい私だけだもの。もとより咎める者なんかいないのだから構いやしない。 

 

 私は黙って、兄のしたいようにさせてやることにした。

 

 それにどうせ、こんなことができる機会も、もうこれで最後なのだ。

 

 

 「なあプロセルピナ。あんな女のことは引き合いに出すなよ。アルテミスとともに処女の誓いを立てた純潔の女神だかなんだか知らんが、オレはアテナは嫌いだ」

 

「そんなふうに言わないでお兄様。アテナは私とは違います。あの子は母親がいないにも関わらず、地上の統治者としてあんなにしっかりとやっているではありませんか。それにひきかえ、私は・・・」

 

 

みんなが いう。

 

知恵と慈愛と、戦いの力に恵まれたゼウスの末娘アテナ。

 

みんなが くらべる。

同じゼウスの娘でありながら、二柱(ふたり)の輝きにはなんという差があるのだろうと。

 

 

 春の女神プロセルピナ。

 

 女神とは名ばかりの、大いなる母デメテルの陰にいつも隠れ、ただ、野に花を咲かせることぐらいしか能がない女。

 

 

 それが、私。

 

 

 「オレはアテナなんかより、お前の方がずっと好きだ」

 

 昔から私を妹のアテナやアルテミス達と比べないのは、このヘルメス兄様ぐらいのものだった。

 

 「なあ、お前。本当にハーデスのところへなんぞ嫁に行きたいのか」

 

 デスマスクの顔をしたヘルメスは、俄かに真面目な顔をして私にそう訊ねてきた。

 

 「お父様と、ポセイドン叔父上がお決めになったのだもの。しょうがないわ」

 

 「くそ、ポセイドンめ!!・・・あいつは、そなたの母デメテルに恋慕の情を抱いておるのだ。いわば己の下心のために、一人娘のそなたを冥界へと厄介払いしたいだけなのだぞ!それをわざとらしく、お前にふさわしいだなんだと父上にこんな婚姻を進言などしおって!」

 

 「いいのお兄様。そのことはもうわかっています」

 

 「わかっていて、お前・・・」

 

 「お母様は私がふがいないばっかりに、ずっと私に構いっぱなしだったもの。そんな母が叔父上と新たに幸せになってくれるようなことがあれば、このプロセルピナにとって、こんなに嬉しいことはありません」

 

 それは私の本心だった。

 

 母様は私のことにかかりっきりだったから、もうこれ以上母様のお心を煩わせることのないように、私は早く一人前になりたかった。

 

 例えそれが、冥界の女王という思いもかけない役職を預かるようなことであっても。

 

 「・・・・・お前の幸せは?」

 

 「お兄様」

 

 「アテナやヘスティア伯母上たちは、処女の誓いをたてたのをいいことに、多くのものを手にしてあれだけ好き勝手に生きているというのに、なんでお前一柱(ひとり)だけ、身一つであんな陰鬱なる冥界に嫁がねばならぬのだ!

 

 

 そしてヘルメス兄様は、私の肩を強く引き寄せた。 

 悲痛な眼差しが、間近に近寄ってくる。

 

 

 「!・・・いけません。お兄様、おたわむれを」 

 

 

今まで一度だってこんなことをしたことはなかったのに。(いやちょっと待って。「こんなこと」って、お前らなにをやっとんねん)

 

 

 「やはりイヤだ。行かせたくない。なあ、妹よ、いまからでも遅くはない。ハーデスなどではなく、我が妃となれ」(へ、いや、ちょっと)

 

 

 何を今更。

 

 いつもいつも、ヘルメスお兄様はあちらこちらを自由に飛び交っていて、

 私が本当に傍にいて欲しい肝心なときには、ちっともいてくれなかったくせに。

 

 それでいて結婚間際となった私を前にして、ようやくこのような有り様とは。

 

 あげくに我が都合を考えもせず、ただただこの場の衝動にまかせて、こうして私の対面を汚すようなことをなさる。

 

 

腹が立った。

 

 やはりこの兄もまたオリンポスの男に過ぎぬ。

 父であるゼウスやポセイドンたちと同じ。女に対してひどく勝手なものだ。

 

 

 「お兄様あのアケローン河をごらんなさい!あの向こう岸には、明日には我が夫となるハーデス様が座しておられるのですよ!その眼前で、どうか、どうかこのような真似」

 (このような真似ってどのような真似?・・・・・・まさかアアアアアア!

 

 「それがどうした・・・!ならば今からとっくりと見せつけてやろうではないか。お前の良人(つまびと)となるべき男は誰であるのか。それをこの場で」(見せつ・・・・ノー!!!

 

 「そんなことをすればただでは済みませぬ!ハーデス様のお怒りを買いたいのですか!」

 

 「知るか。これであの男と戦争になるというのならば、望むところよ。オレは太陽神(アベル)とも仲良しだ。あいつにも軍勢を借りて、一挙に冥界に攻め込んで・・・」

 

 (ぎゃー寄ってきたあマジでマジでマジでやめてえええええデスマスクうううゥ!!)

 

 唇が触れるか触れないかという距離まで(・・・・・・!!)兄が迫ってきた時、私は決定的な一言を放ってやった。

 

 

 

 「これは大神ゼウスのご決定ですよ お兄様」

 

 

 

 「!」

 

 「この私ともども、お父様に反逆の意を示すこととなってもよろしいのですね?そういうお覚悟あってのことと思ってよろしいのですか!?ヘルメスお兄様」

  

 「・・・それは」

 

 「どうなのです!?」

 

 とたんに、ピタリと止まる。(ホっ)

 

 「・・・・・・ほら、できないじゃない!できもしないことを豪語して、どうして私を苦しめるの!」

 

 つくづく、子供のようだ。

 

 しかしヘルメス兄様は、それでも私の顔に手を伸ばそうとした

 

 「いや!」

 

 私はそれに逆らって顔を背け、身をよじらせた。

 

 「無理強いはイヤ!無理強いはイヤよお兄様!降りて、我が体より降りてください!」

 

(そうだ降りろデスマスクこのヤロー!!)

 

 

 どうして苦しめるのだろう。この私の都合も考えずに。

 

 私は知っている。

 

 アベルお兄様と同じく、父ゼウスより寵愛高き息子の一人である兄・ヘルメス

 

 そのお父様のご不興を買ってまで私をさらうなんてこと、根っからの優等生であるこの兄にはもとよりできるわけがないのだ。

 

 

 にもかかわらず、このようにガラにもないことをなさって、

 

 

 「お兄様、あなたも分別のわからぬような年でもないでしょうに」

 

 

 本当に馬鹿ね、お兄様。

  

 

「私は戦争は嫌い。何より嫌い。自分が非力で弱虫だから、他の誰かが争い、傷つく姿を見るのはイヤなの。ましてや私事などのために、アベル兄様にまでご迷惑などかけられませぬ」

 

 「プロセルピナ」

 

 「そうよお兄様のいう通り、私は弱虫で泣き虫、なんのとりえもない!だから、先のティタノマキア)においても、私はなんの働きもできなかった。同じ姉妹であるアテナやアルテミスがあれほど奮戦したというのに、私はそれを、ただ震えてみていただけ」

 

 「・・・・・」

 

 「でもこんな私でも、あるいは冥界の妃としてならばお役にたてるかもしれない。戦勲をたてることは無理であった分、せめてゼウス父様の御心にかなうよう、このプロセルピナ、これからは夫ハーデスにつくすことによって世界の平和に貢献したいのです・・・わかって、お兄様」

 

 「お前は、それを望むというのか」

 

 「私もオリンポス神族のはしくれ。それを、お兄様やお母様に、いつまでも子供のように甘えているわけにはまいりません。もう決めたのです・・・ですから」

 

あたしは兄ヘルメスの腕をそっとさすって、なんとか笑ってみせた。

 

 「私は幸せです。冥界に赴きし後も、優しいお兄様が私のことを想っていてくださる。それだけで私は満足なのです」

 

だが涙をこらえることだけは、どうしてもできなかった。

勝手な男だけど、

 

私はやはり、この兄がどうしても好きなのだ。

 

 

 「お前は弱虫なんかじゃない・・・お前は、無欲で優しすぎるだけなのだ。この兄はよく知っておる」

 

 「お兄様」

 

 「それをいいことに、どいつもこいつもお前の優しさにつけこむ・・・!」

 

 

 

  そう。

 

 

 

 「そんな言い方はやめてお兄様」

 

 

 

 いまおもえば、ほんとうにそのとおりだった。

 

 

 

 「かつてティターンとの戦いのさなかにおいても、プロセルピナよ・・・オレの胸中にちらつくのは、そなたの顔ばかりであった」

 

 「・・・・・」

 

「たとえ戦列には加わっておらずとも、そなたがオリンポスでオレの無事を祈ってくれていると思うだけで、この身には力が湧いたものだ」

 

「・・・・・」

 

「だが、それももうなくなるのだな」

 

 

 声を殺して兄は泣いた。

 

 

(・・・・・・・)

(あのデスマスクが泣くなんて・・・・・)

 

 

「オリンポスの神殿に帰っても、もうお前はいない」 

 

くずれおちるようにすがってきた兄の背中を、なだめるように私は抱きしめる。

 

「お兄様泣かないで」

 

「お前のおらぬ地上など、闇と同じじゃ」

 

「また、春には里帰りします。そういう婚姻の約束になっておりますから」

 

「だがお前はもう、他の男のものだ。それが耐えられぬ」

 

「聞き分けのないことおっしゃらないで」

 

「・・・・・」

 

「あなた様は私のたった一人の兄上ではありませぬか。それはずっと変わらない。男女の契りが切れることはあっても、血潮をわけし兄妹の絆だけは、誰にも断つことはできませぬ。それなのに、なにを悲しむようなことがあるというのです」

 

・・・・・」

 

「喜ぶことこそあれど、悲しまねばならぬようなことなど何一つもないのですよ。お兄様」

 

「・・・・・そう、だろうか」

 

「そうよ」

 

そしてゆっくりと身を起こした兄は、泣き笑いの顔で、わざと元気よく私に言った。

 

「そうじゃな・・・これ以上お前を困らせては、兄の面目丸つぶれじゃな」(ううっ、そうだよデスマスク、泣いちゃだめ)

 

お兄様。私は、ずっと祈っています。冥界の深部エリシオンの玉座においても、お兄様の無事とご繁栄を、ずっとずっと」

 

「・・・・・よし」

 

「?」

 

 

「これをそなたにやる」

 

 

するとあろうことか兄はその頭より神兜(ペタソス)を脱ぎおろすと、双翼の飾りの一方をためらいもなく折り取ってしまったのだ。

 

「お兄様!!」

 

そしてヘルメス兄様は、私にそれを差し出してきた。

 

「受け取れ妹よ」

 

「そんな、これは」

 

「これはオレの心だ。持っていてほしい」

 

「しかしこれはオリンポス十二神の一柱たるあなた様の、神衣(カムイ)の一部ではありませぬか。それを」

 

「いいのだ。一つなくなったところで、オレは困らぬ」

 

「そんな・・・・!」

 

「なあプロセルピナ。お前の心も、おいていって欲しい」

 

「・・・・・」

 

「誰にも知られうちに、伯母上もこぬうちに、今ここで」

 

「・・・・・・」

 

「駄目か」

 

 

私は首を横に振る。

 

こんな辛そうな目をした兄を前にして、どうしてイヤと言えよう。

 

兄は、再び私に顔を近づけてきた。

 

 

「お兄様」

 

「・・・・・」

 

「どうかこのことは秘密に」

 

 

すると

こんなときだというのに、クスクスと笑う気配がした。

 

 

 

「・・・・・・よかろう。未来永劫の秘密じゃ」

 

 

 

ああそうだ。幼少の頃、

 

私を誘って悪戯の共犯者に仕立て上げる時、

 

お兄様はいつも、こんなふうに笑っていたわね。

 

そして熱に浮かされたようなボンヤリとした意識の中で、私は聞いた。

 

 

 

ひどく満足げな、兄の声を。

 
 

 

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・おい、貴様いい加減にしろ」

 

「・・・・・・」

 

「なあ、なんでお前は、いつもいつもわけのわからんことで泣いてやがるんだ。コラ」

 

 

 あらたに補充した結納の品一式を携えて、総合医療棟の病室を早朝突撃リポーターばりに急襲しようとしたアリエスのシオンは、扉を開けた途端信じがたい光景を目の当たりにした。

 

 

「むう、デスマスクではないか」

 

「おお教皇。おはようございます。一足先にお邪魔してますよ」

 

「・・・・・一体、何があったのだ」

 

「なにがあったもなにも、そりゃこっちのセリフですよ」

 

そう言うとデスマスクは、自分の体を見下ろして再び舌打ちをした。

そして立ちっぱなしのまま「ああ・・・・くそ!」ついには途方にくれたように、天井をあおいで呟いた。  

 

 

「こいつ、なんとかしてくれ・・・!」

 

 

 

 ――――そこには。

 

 

 

 デスマスクの懐にしっかりと腕を回してしがみつきながら、寝癖も激しい頭で泣きじゃくっている、登野城青歌の姿があったのだった・・・。

 

 

 

                  

                               そして、これより数時間前

                               聖域・黄金十二宮

              

 

 

 

 ・・・広大なる黄金(ゴールド)十二宮(ゾディアック)を一望できる露天の高台には、12の柱に囲まれた一つの東屋(あずまや)が存在する。 

 

  この場所を、常日頃より聖闘士たちは黄金(おうごん)()と呼んでいる。

 

 そこは教皇の勅命によって黄金聖闘士たちが黄金(クリューソス)結合(シュナゲイン)を行うための、神聖なる会合の場所である。 

 

 スターヒルと同じ高度にあるこの場所からは、堅牢なる岸壁の上に立ち並ぶ十二宮の様子が一望できる。

 

 濃密な乳白色の朝靄(あさもや)漂う中、巨大な十二の宮が浮かび上がっているようなその眺めは、まるで大型船が霧色の海を音も無く潜航しているような光景にも見える。はたまた他の惑星の宇宙基地でも前にしているような気分にもおちいらせるそれは、聖域の地形の特異性が及ぼす不思議な自然現象の一風景だ。

 

 

 

  

 「・・・おはようございます。教皇(パパ)()アイオロスよ

 

 

 はるか下方を見下ろす法衣姿の少年の背後に(ひざまず)く、鋭い目をした一人の男。

 

  

 戦いの上で長い髪の毛を邪魔とする直接攻撃系の聖闘士の典型として、アイオロスやその弟アイオリアと同じく、彼もまた自らの髪の毛を、短く刈っている一人である。あらゆる装いにおいて古代ギリシアの様式を取り入れているこの聖域では、一般的な外世界とは逆に短髪の男子の方が、むしろ少数派の部類に入る。

 

 硬い髪質の黒髪を潔く刈り、どこか軍隊的なストイックさすら漂わせているその男の力は、拳の「」というよりも、むしろ刃の「」といったほうがふさわしい。

 

 黄金十二宮を守護する10番目の宮・磨羯宮(まかつきゅう)の番人にして、黄金聖闘士随一の神速の使い手。

 

 「おはよう。山羊座(カプリコーン)

 

その名も、シュラという。

 

 「カプリコーン、ただいま御前に参上つかまつりました」

 

 「早朝からお前だけ呼び出してしまって悪いね」

 

 「・・・・・獅子座(レオ)に声をかけなくても、よろしかったのでしょうか」

 

 それがこの男の癖で、()(ディ)教皇(・パパス)とその弟に、いつもいつも妙に気兼ねをしてくる。

 

 そんなシュラを見て、アイオロスは思わず苦笑した。

 

 「よいよい。これはそなた一人に頼みたいのだ・・・極秘でな」

 

 極秘というただならぬその言葉を耳にして、カプリコーンのシュラはにわかに表情を厳しくする。

 

 「極秘・・・」

 

 「実は今日、我らが十二宮に一人の聖闘士候補生が来る」

 

 「候補生?」

 

 「ゆくゆくはそなたの弟子になるやもしれぬ・・・が、ちと経歴が特殊でな」

 

 「というと」

 

 

 「冥界に縁のある娘なのだ」

 

 

 「!」

 

 

 冥界、という言葉にも驚いたが、シュラはもうひとつの言葉の方にも、困惑を覚えずにはいられなかった。

 

 

 「あの・・・“”・・・というと・・・」

 

 「うむ。実はその候補生とはな・・・16歳の女の子なのだ」

 

 「16歳・・・女!?

 

 男女を問わず聖闘士の修行というものは大体、体の成長が発達する前の、6、7歳ぐらいの年齢頃から開始されるのが普通だ。

 

早い者になると物心つく前から訓練のただ中にあったりする。それもまた、聖闘士の世界では普通だ。

 

  それが、いきなり16歳とは。

 

 「それは、いささか難しいですな」

 

 「そう思うか?お前でも?」

 

 「・・・・・時に、その娘の属する十二星座とは?」

 

 「残念だが乙女座さ・・・おかげで、我が片割れなるサガなどは、彼女の師にシャカを推薦している」

 

 「・・・・・・そうですか」

 

 正直なところ候補生が女であるという以上に、乙女座であるいう事実を聞いたことにより、なんとも落胆の色を隠せないシュラであった。 

 

 聖戦が終わり、死んでいたはずのところを運命のいたずらで再びこの現世に舞い戻され、守護者の役職に復帰してから早や7年目。

 

 それだけの時間があったにもかかわらず、シュラはまだ、己の黄金聖衣をうけつぐに値する後継者を育て上げられないでいた。

 

 

 原因は一つ。

 

 彼の指導方針にある。 

  

 

 

 「・・・・・あたらしい、朝が来た(←宮の外から差し込む朝日に向かって仁王立ちするシュラ)

 

 

 

  それはほんの1時間前のこと。

 

 

 

 「・・・・・・(←つい昨日、希望に胸膨らませやって来たばかりの候補生たち)

 

 「しかしこれは希望の朝ではない」(←ゆっくりと、かぶりをふるシュラ)

 

  「・・・・・・(←またはじまるのかよ、とゲンナリする候補生たち)

   

 

 

 「お前たちにとっては、絶望の 朝だ!! 

 

 

 

 

 ド オ オ オ ン(←白き輝きをバックに勢いよく宮の中へと振りかぶるシュラ)

 

 

 

磨羯宮(まかつきゅう)の大広間には、屍々累々と積み重ね上げられた大勢の候補生たちの、爽やかな光に照らし上げられし半死半生の姿があった。

 

 「この絶望に耐えろ貴様ら!この絶望に耐えられる者こそが、真の聖闘士としての実力を会得することができるのだ!!」(←グっと拳を握り締めて容赦なく叫ぶ熱 血 教 官・シュラ)

 「・・・・・・(ふざけんじゃねえよっ!修行(トレーニング)どころか、こんなのただの拷問じゃねえかあ!(←精も根も尽き果て、反抗の声すら発することのできない候補生たち)

 

 来たばかりの聖闘士候補生たちがそのトレーニングの過酷さに音を上げて「いやだ!こんな修行、拷問と同じだぜ!」「こんなことさせられたら死んじまうよ!」などと弱音を口走るようなことは、別に珍しくもない。

 

 弟子の将来性を思うならば、そこをあえて手加減せずに厳しく指導するということも、いわば師匠としての大切な勤めの一つのようなものだ。

 

 が、

 

 このカプリコーンのシュラの場合は、本当の意味で「拷問」としか呼びようのない訓練ばかりを課すことで、この聖域内では非常に有名であった

 

 例えば全身を拘束され、首筋に鋭い刃のような小宇宙を溜めた聖剣(エクス)手刀(カリバー)を突きつけられたまま12時間、以下のような言葉をほぼ日常的にエンドレスで耳元に囁かれる。

 

 

 恐ろしいか、いいか、お前の命は今、このオレの右手のほんのささやかな刃の上に載せられている。これが少しでも傾けばお前は死ぬ。頚動脈から血をほとばしらせてお前は死ぬ。さあその苦しみを想像しろ。どうだ死の瞬間が見えてきたか。死した人間が歩くという陰鬱なる黄泉比良坂の光景が見えてきたか。いいかその先にも安らぎなどはないぞ。お前の魂は氷の地獄に落とされて、お前はそこで未来永劫の苦しみを体験させられる。そしてそれはオレやアイオロス、黄金聖闘士全員が経験してきた苦しみでもあるのだ。さあ恐ろしいか。その恐怖に耐えてみせろ。耐えたところで絶望しかないのには違いないがな。でも耐えろ。それを耐え切る精神の力を会得して初めて、正義を貫くことのできる絶対の刃がお前の心には宿るのだ。さあ高めろ。絶望の中で小宇宙を高めろ。しかしその先にも待っているのは苦しみでしかないがな、しかし耐えろ。さあ耐えろ。苦痛の中で小宇宙を高・・・(以下十二時間、執拗に繰り返し

 

 これをされると、大方の人間は精神的なコンディションがズタズタメロメロになる。そしてようやく訓練が開始されるのだが、これがまたあまりにもハードな難易度の特訓で、そして師であるシュラが規定したレベルに弟子たちの技量が少しでも達していないと「む!お前には覚悟が足りない」すぐまた上記の囁きを数時間繰り返されるのである。

 

 

 他にも、

 

 『戦死した聖闘士はどこへいくのかな?〜死後の世界・コキュートスを体験してみよう!コース〜』(凄まじい冷気を放つカミュ特製のフリージングコフィンと一緒に、音も光も差さない暗所に長時間閉じ込められる。常に小宇宙(コスモ)を発して肉体の保温をしないと即座に死ぬ可能性もある、まさに本物のコキュートスへ直行するかもしれない特訓メニュー)

 

 『死界にいる人たちって、どんな苦しみの中にいるのかな?〜巨蟹宮の死仮面たちに実際にお話を伺ってみよう見学コース〜』(わざわざ巨蟹宮まで降りていって、候補生たちに壁を埋め尽くす死者の苦悶の表情を見せつける。その耳元でやはり果てしなく「さあこれは未来のお前たちの姿だ。その苦しみを想像しろ。想像しろ」と囁きつづける)

 

 

 などなど、シュラ考案の特訓メニューふれあい型から見学型まで多岐に及ぶ。そしてそれらすべての代物が、特訓というよりは限りなく拷問に近い、いや、すでに拷問以上の拷問と呼ぶしかないような内容のものばかりであった。 

  

 たまにこの「黄金の間」やスターヒルに立っている時など、アイオロスは彼の磨羯宮(まかつきゅう)から「助けてええええこの人キ○○イいいいいい!」とかなんとか叫びながら飛び出してくる候補生たちの姿を、目撃することがよくある。

 

 

 そんな時、アイオロスはしみじみと季節の移り変わりを思う。

 

「ああ、そういやもう、春じゃん?」

 

その絶叫は、もはやすっかり風物詩化すらしているのだ。

 

 

 「山羊座のシュラは血に飢えたサディストで、いつも弟子という名の餌食を探している」

 

 「奴に捕まった者は必ず廃人になって帰ってくる」

 

 

 そうした辛苦の恐怖伝説が、聖域においてもはや常識にすらなっている。

 

 

 以前、双子座のカノンが所用で日本を訪れた時、彼は辰巳(たつみ)徳丸(とくまる)という知己の男性に連れられて、東京は門前仲町にある彼の行きつけの居酒屋に一緒に飲みに行ったことがあった。

 

 その酒の席で偶然この話題が出た際、辰巳は、じっと黙って耳を傾けていた。が、やがて酒のつまみとして出てきた湯葉揚げなど箸でつつきながら、しみじみとした物言いで、ただ一言次のような感想を放ったという。 

 

 “そりゃあ、山羊座(やぎざ)というより、山姥(やまんば)だなと。

 

 

 

 「・・・・・」

 

 

 そしてこの男の何が一番恐ろしいかといえば、そうした鬼外道的な仕打ちの数々を、悪意などからしているわけでは断じてないという点である。

 

 シュラは変質狂でもなければサディストでもない。むしろその本質はどこまでも実直にして、万事において真心をもち取り組むのがモットーという、ある意味ではこの上なく一途なナイスガイであるのだ。

 

 彼は心の底から候補生たちの将来を思っているのである。だからこそ、弟子たちに擬似的な地獄を体験させるためのカリキュラムをせっせと考案する。地上の愛と正義を守るにふさわしい強さをもった闘士になってほしいと願いながら、女神に祈りを捧げるがごとく敬虔な気持ちで

 

 「さあ今日も絶望を味わえ。この絶望に耐え切れた者だけが真の聖闘士になれるのだ。他に道は無いぞ。さあ己の身に注がれる苦痛をかみ締めろ。かみ締めろかみ締めろ」

 

 毎日毎日、自分の弟子たちを健気に脅し、その精神を追い詰め続けるのである。

 

 それが彼らのためになるものだと、シュラは本気で信じているのだ。

 

 そして弟子が這う(ほ )這う(ほ )(てい)で宮を逃げ出していってしまうたびに、「ああまた逃げられた。何が悪かったというのだ。く、おそらくはこのシュラの鍛え方が生半可であったのに違いない。よし、次は、もっと頑張ろうと決意を新たにするのだ。

 

 あるいはそれは、どこからどう見ても間違った愛情にしかうつらないかもしれない。

 

 だが彼の人柄を知っている多くの人々は、それでいて、なおもこう思わずにはいられないのだ。

 

 そんな真心だったら、むしろ耳元で絶えず悪の誘惑でも囁かれてるほうが、まだマシだなと。

 

 

 (こいつなあ・・・昔から、一生懸命やったことがなんでも裏目に出ちゃう奴だったからなあ)

 

 

 アイオロスもサガも、そんなシュラのことが不憫で仕方が無い。

 涙が出るほどだ。

 

 だが本人が自分の欠陥を理解できていない以上、こればっかりは誰が何を言ってもどうしようもないのだ。

 

 そんな黄金聖闘士たちの思惑とは裏腹に、一方でシュラのスパルタ教育カリキュラムをありがたがっている人々も、実は聖域関係者の中には結構いる。

 

 

 「あんなにワガママだったうちの弟子が、あなた様のもとより戻ってきてからは不平を言わない従順な性格になって、師である私に対しても感謝と礼儀を忘れないようになりました。山羊座様ありがとうございます!」

 

(←地中海沿岸部修行地在住の白銀聖闘士。のちに、謝礼の洗剤セット届く)

 

 「反抗ばかりして手を焼かせていた我が弟子が、シュラ様の修行から逃げ帰って来て以降、まるで別人のようにすっかり模範的な弟子になりました!なにかあったらまたよろしくお願いしますネ(^^)」

 

(←アフリカはザイールの修行地在住の白銀聖闘士。のちに、自分の農場で獲れた無農薬オレンジをたんと寄越してくる)

 

 

いうことを聞かない問題児を弟子を抱えている白銀聖闘士などの中には、苦痛を味わわせる目的でわざとそいつらをシュラのところに体験弟子入りさせる連中も少なくないのだ。

 

 

 しかしそんな感謝など、シュラにとっては少しも嬉しくない。

 

 シュラは後継者が欲しいのだ。

 

 自分の聖衣を継いでくれる、たった一人の後継ぎが。

 

 

 「アイオロスよ。私も、教皇サガのお考えに賛成いたします」

 

 「・・・・・」

 

 「私には自分の宮の後継者を選定するという急務がございます。恐れながら、その乙女座(バルゴ)なる娘に関わっているヒマは、このシュラにはございません」

 

 「なあシュラ、お前、何をあせっておるのだ」

 

 「あせる・・・?」

 

 「このアイオロスにはそう見えるぞ。シュラよ」

 

 アイオロスは、静かに笑みを浮かべた。

 

 「そんなに黄金聖闘士の座から引退がしたいのか?シュラよ」

 

 「まさか!」

 

 「自分の身に何か起こった時に備えて、頼もしい後継者を育成しておきたいというお前の気持ちはよくわかる。だが今しばらくは、このアイオロスにお前の力を借しておくれ」

 

 「どういう意味です?」

 

 「実はその娘な・・・狙われておるのだ

 

 「!」

 

 「先ほど連絡が入った。彼女に付き添っていたアリエスのムウによれば、なんでも昨夜も聖域の中にならず者が入り込んだとのことらしい」

  

 「その娘、“冥界に縁がある”とのことでしたね。よもやそれと関係が?」

 

 「流石話が早い。実はな、コキュートスの炎を使うのさ、その娘」

 

 

 シュラは自分の耳を、疑った。

 

 

 「といっても、()闘士(ペクター)ではない・・・・・彼女は生身のまま、力を放つ

 

 「なんと」

 

 「そしてその力で、何人もの人間に重症を負わせてきたらしいのだ」

 

 「本当の話なのですか。それは」

 

 「こんなことで嘘言ってどうする」

 

(・・・それならば、我らが十二宮に移されるというのも合点がゆく)

 

シュラもまた、即座にそれを理解した。

 

(つまりその娘にとって、安全と言える場所とは、地上においてもはやここしかないということになろうからな・・・・・)

 

 アイオロスは無表情に続けた。

 

 「未知の戦闘能力を秘めた娘だ。世界中に、欲しがる連中など山ほど居るだろうな。あるいは、聖域内にも」

 

 「助祭(じょさい)協会(きょうかい)・・・」

 

 「ああ」

 

 「しかし教皇たるあなた様のご意志があれば・・・」

 

 「無理だ。この事実が知れれば、聖域(サンクチュアリ)全体(ぜんたい)がパニックに陥る。そしてその機に乗じて、助祭協会は必ず娘の身柄を要求してくるだろう。そうなれば最後だ・・・我々は娘ともどもアテナの守護者としての危機管理責任を問われ、結局はアンドロメダ瞬やジュリアン・ソロの時の二の舞となろう」

 

 「・・・・・そうでしょうね」

 

 ただでさえ復活した聖闘士たちには、ハーデスに寝返ったのではないかという疑惑が、ここ数年の間ひそかにかけられている。誰もそれをおおっぴらに口にはせぬけれど、この一件でそれが激化でもしたら、現・黄金聖闘士たちにとっても、まさしく身の破滅になりかねない。

 

 「正直に言おう。おれは、その子がお前の後継者になれるだなどとは、はなから思うておらぬ。師弟関係とはいわば名目だ。おれはただただ、お前にその娘の護衛と監視を任せたいのだよ。山羊座(カプリコーン)

 

 

唐突に、教皇アイオロスは訊いてきた。

 

 「シュラよ。地上の愛と正義を守る、お前はアテナの聖闘士か?」

 

 シュラは、よりいっそう額を地面に近づけ、答える。

 

 

「このシュラは、まごうことなきアテナに忠誠を誓う聖闘士・・・そして、あなた様にも」

 「ならばよい」

 

 

 そしてシュラ、なんといっても

 お前は おれの頼みには逆えないものね。

 

 

 「ではカプリコーンのシュラよ。そなたに命じる。これより何があろうとも、あの娘の身を、守り抜いておくれ」

 

 「アイオロス?」

 

 「あれの身柄を狙っている邪なる連中がいる。そいつらにだけは、彼女の身柄を渡すわけにはいかないのだ」

 

 「・・・・・」

 

 「そして彼女自身にも、おれはせめて最低限の自衛力を身に付けてもらいたいと思う。できることなら自分の力を使いこなせるように」

 

 「なるほど」

 

 そういう火急の事情があるならば、確かにシャカでは不向きだろう。

 

 「とはいえ心配するな、彼女の師事する聖闘士を決定するのは、まだまだ先の話だからな」

 

 

 そう言うとアイオロスは、法衣の中に手を突っ込んでなにやらゴソゴソ探りまわり始めた。

 

 「ホレ、早起きの駄賃だ

 

 コカコーラのロゴが入った二本のボトルを袖口から取り出すと、シュラの鼻先に差し出した。

 

 「・・・・・」

 

 いきなりのことに、シュラはしばし面食らう。

 

 「なんだ?いらぬのか」

 

 アイオロスは自分の分のコーラ瓶から、その丈夫な歯でフタの王冠をさっさと(かじ)り取っている。

 

「お前これ好きだったじゃないか。シュラ」

 

「それは子供の頃の話です」

 

 「ああ、そうだっけ?」

 

 「そうですよ」

 

 「んじゃ、いらない?」

 

 そういわれると、拒む理由もない。シュラは一応礼を言って、素直にコーラの瓶を受け取った。

 

二人そろって絶壁の縁に腰を降ろす。

彼らの足の下には、一面の霧の海原が広がっている。

 

 

「・・・・・」

 

 黄金聖衣に身を(よろ)った長身の青年と、法衣を引きずる小柄な少年。

 

20年前のあの頃は、シュラの方がこのアイオロスのことを見上げていたのに。

 

今、彼らの身長差はまるっきり逆転してしまっている。

 

 18歳の姿をした261歳の年寄りが二人もいたり、外見が14歳なのに本当は34歳の“坊や”教皇がいたり、そしてかくいうシュラもまた、本年齢は30歳であるにもかかわらず、肉体年齢は23歳のままだ。というよりも、死の世界から戻ってきた聖闘士たちは、総じて不老の状態に陥っている。死亡時の年齢のままでだ。

 

黄金十二宮の守護を預かりしアテナ神殿の番人たち。彼らもまた、すでに自分たちでも混乱してしまいそうなほどに外見年齢と実際年齢がバラバラになってしまっており、正常な時間の流れからはほぼ取り残されてしまっている。

 

英雄であるにもかかわらず、それゆえに、聖域内の普通の人々からとてつもなく不気味がられるようにもなってしまった男たち。

 

 それが、彼らだ。

 

 そして、

 

 アイオロスの姿を子供のままで止めてしまった張本人は、他でもない、

 

 

――――――――この、シュラだ。

 

 

 「すごい光景だろう」

 

 アイオロスは自慢するように呟いた。

 

春先の朝は、十二宮の道のりは霧の迷宮とも化す。それぐらいはすでにシュラにも承知の上である。しかし下で見慣れた光景も、こうして上空から見下ろすと、なんともいえぬ風情をたたえているものだ。

 

 「ポセイドンの海底神殿とやらの、逆だな、シュラよ」

 「は」

 「海底神殿では頭の上に海の底があったそうだが、ほら、ここでは足の下に陸の海がある」

 

 そんなアイオロスの言葉に、シュラは馬鹿正直に頷いた。

 

 「ああ!そういわれれば、我が磨羯宮(まかつきゅう)も、ここから見るとまるで船のようですな」

 

 「ふふ」

 

 「?」

 

 「この眺めはアイオリアも知らぬ。見せるのは、お前が初めてだぞ。シュラ」

 

 「そ、それは・・・!あ、で、では今すぐアイオリアも連れてきましょう!」

 

 慌てて立ち上がりかけたシュラの腕を掴まえて、「だからなんでお前はおれの弟のことになるとすぐに変な気を回そうとするんだよ」アイオロスは再び自分の傍らに引き戻した。

 

 「本当に面倒くさい奴だ。お前は」

 

 「す、すみません」

 

 シュラはアイオロスとともにしばし黙って、それからちびちびとコーラを喉に流し込んだ。

 

しかし戸惑う気持ちばかりが先に立って、どうにも、落ち着かない。

 

(オレがここに座っていてはいけない・・・)

 

 いくらアイオロスやアイオリアに「気にするな」といわれても、罪悪感というものはそう簡単には消えてくれない。

 

何年経とうが、変わらないのだ。

 

こればっかりは、どうにも。

 

 「実はな」

 

 瓶から口を離し、アイオロスがおもむろに言った。

 

「この聖域に、昨日ドラゴン紫龍(しりゅう)が来た」

 

 

 “えほおっ!” (←口に含んだコーラを、思わずスプラッシュさせるシュラ)

 

 

 「昨日まで普通の人間だった女の子に、いきなり聖闘士としての修行を課すのはキツすぎると思うてな。それでサガとも相談し、まずは初等教育として、彼に基礎体力をつけてもらうことにしたのだ」

 

 「ゲホっ・・・ゴホっ・・・そ、そ、そうですか(紫龍が、紫龍が来ているのか・・・心の、心の準備が。どうする。どうするオレよ)

 

 「十二宮初のカンフー・ガール誕生になるかもしれんぞ。ふっふふふ」

 

 「ごほっ・・・あーすばらしいですねそれ(←心ここにあらずな返事)

 

 「五老峰の春麗()ちゃんみたいな子だったりしてな☆」

 

 

 “かはあっ!”(←その瞬間作り笑いに失敗してしまい、またもやコーラを吐き出すシュラ)

 

 

「・・・・・・(ホンット、気にしいだな。シュラ)」

 

そしてその割に、行動理念そのものが改善されることがあまりないのがこの男の短所だ。

 

シュラの脳裏に甦る、ついこの間五老峰で起きたてんやわんやの出来事の顛末

 

 

春麗『カプリコーン!!この人でナシ!!鬼!!畜生野郎!!

 シュラ『春麗どの、お、落ち着いて下さい。わたしは、わたしは別にそんなつもりは』

 紫龍『や、やめろ!やめるんだっ春麗!』

 春麗『くらええええ!!(←アツアツの(タン)をシュラめがけてぶちかけてくる春麗)

 

 

今思い出しても、つくづく居たたまれない気持ちにさせられる。

 

 (熱かったな。あのスープ・・・)

 

 「紫龍の奴、そなたのことを気にしていたぞ」

 

 「エ」

 

 「お前があのことでまだ怒っているのではないか、とな」

 

 「まさか。あの事件については、非は全面的にこのシュラにあります。それを・・・」

 

 「んじゃいい機会だから、会って話ぐらいはしろよ、お前にとってはエクスカリバーを託した相手じゃないか。な」

 

 「・・・・・・はい」

 

 「で、それはそれとしてだ。お前に、まずはやってもらわねばならぬことがある」

 

 「は」

 

 「そのために、お前一人をわざわざここへ呼んだのだ・・・他の者がこぬうちに」

 

 アイオロスはコーラを飲み干すと、シュラの方を改めて見やった。

 

 シュラは忠実な猟犬のようにまっすぐな目をして、アイオロスの言葉をじっと待っている。

 

 「その少女を候補生として鍛えるためには、ただの気長な訓練だけでは間に合わぬ。それはわかるな?」

 

 「はい」

 

 「そこで特別に考案した方法(メソドス)を、おれは試してみようと思う」

 

 「特別な方法(メソドス)?」

 

 いやな予感がした。

 

 「うむ。そこでシュラよ。お前はその手伝いをしておくれ」

 

 「手伝い?」

 

 「あのね」

 

 しゃっかしゃっかしゃっかしゃっか(←謎のシェイク音)

 

 「ラクガキしてきて欲しいんだ

 

 「は?」

 

 「これやる」

 

 先ほどコーラの瓶を取り出した時と同様に、法衣の下からアイオロスがドオオオンと取り出したもの。「むうううううう!こっ、これは

 

 それは色とりどりの、何本ものスプレーの缶の束であった。

 

 「これは、これはなんなのですか」

 

 「ペイントスプレーボウソウゾクとか、チーマーとか、ヤンキーとかが、電信柱・壁面などの公共物に無断アートを施す際に使う、お手軽な道具さ!」

 

 「いや、あの」

 

 「これで十二宮に思いのたけをぶつけておいで☆シュラ」

 

 「思いのたけ?」

 

 「十二宮すべての壁に、この特製のペンキでお前のソウルを表現してきてほしいんだ。どうせお前も内心ではストレスたまってんだろ?巨蟹宮の柱とかに”あじゃぱー野郎”とかって書いてきちゃえよ。こんなはっちゃけられるチャンス滅多にないぜ

 

 「・・・・・・・・!」

 

 いきなりのことでなにがなんだかシュラにはわからない。

 

 「わからない奴だな・・・ラクガキしてこいって言ってるんだよ」

 

 「何故に?」

 

 

  その時、シュラの視界がガクンと揺れた。

 

 

 「な・・・?」

 

 「ふ、ようやく効いてきたか」 

 

 (!・・・さっきのコーラ・・・さては毒盛りやがったな!おのれ、この老獪なるガキ中年(ちゅうねん)め!) 

 

 「――――――シュラ、墜ーちた・・・♪ 

 

 「(体が動かんんんんん!)

 

 「これは正義なのだよシュラ」

 

 「(笑ってる!この上なく(ブラック)な笑顔で!)な、な、なにをなさるか・・・」 

 

「はっはっは☆リラックスリラックス!んじゃ悪いけど早速・・・受けよ 我が魔拳

 

 

 “ズギュア”(←幻朧魔(げんろうま)皇拳(おうけん)の小宇宙がアイオロスによってシュラの脳髄に叩き込まれた音)

 

 

 かけられた相手の精神を強制的に支配するという、教皇のみに許された禁断の技・幻朧魔皇拳。

 

 思えば偽教皇サガの時代から、シュラはこの技に何度もかけられ、何度も酷い目に遭ってきた。

 

「ふふふ安心しろ!手加減はしてある!目の前で人一人死ななければ呪縛がとけないなどといったような重度の制約ではなく、命令を遂行しきった後は自動的に洗脳が溶けるようになっているのだ!」

 

もともと強情で、自分の意志が阻害されるのは大嫌いな性格のシュラだ。拳を放った途端に抵抗されるのは目に見えている。サガの時のように避ける余地もなく聖剣(エクス)乱舞(カリバー)さい(スク)()()ギリにカットされる羽目になるなど、面倒くさいことこの上ない。

 

射手座の黄金聖衣がエリシオンで消失してしまった今「避けられなければその身に受ければよい」などと涼しい顔して立っているわけにもいかないので。

 

だから、一服盛った。

 

即効性の奴を。

 

「自分の手を汚すことなく、キツくて汚れて恨まれるような面倒な仕事はすべて他人に押し付けられる。なんて・・・なんて素晴らしい技なんだ幻朧魔皇拳!」(←恍惚とした表情で一人で叫びまくる教皇アイオロス)

 

「のおおおおおおおお!」(←頭を押さえてのたうち回る山羊座)

 

「ふふふふふ、これでまた一つ、このアイオロスの輝かしい実験の成果が聖域の記録に刻まれるのだ!ゆけえ我が山羊座(カプリコーン)号よ!お前の任務はただ一つ。このスプレー缶をもって、十二宮すべての壁を、思う様ラクガキして埋め尽くして来るのだ!!わかったな!!」(←ズビシ、と崖の下を指差すアイオロス)

 

「ぬううううううううう!」(←おかしな薬物と拳による強烈な頭痛のせいで、みるみる思考が効かなくなっていく山羊座)

 

正義なのだよシュラ―――――これは正義なのだ(キリっ)」(←エピG3巻サガの真似をする教皇アイオロス)

 

「せ・・・正義・・・・・」(←鬼に憑かれているかのように恐ろしい勢いで目が座るカプリコーン)

 

「ただしそれは、おれの、おれによる、おれのための正義なのだがな。ウワーッハハハ!!それいけ!ぼくらのカプリコーン☆☆(←おかしなテンションに浸って止まらない列車のような教皇アイオロス)

 

「わんわーん☆」(←忠犬ならぬ山羊と化し、シラフならば殺されてもしないような仕方のお返事元気よくするシュラ)

 

 

こうして、

 

 

「黄金の間」より十二宮へと猛然とダッシュしていく、黄金聖闘士の人影が一つ、確認された。

 

 

かくして、

 

 

「臨時の抜き打ちクリューソス・シュナゲイン!!

 

即刻開始い〜!!

 

そうりゃキッス・オブ・ファイヤあああああ!!」 (←意味なし)

 

 

 

アイオロス自らの手によって、

 

聖域の巨大火時計に、聖闘士招集を呼びかけるための点火がなされたのであった。

 


 

 

 

 

 

 

同時刻。

 

 ――――――聖域(サンクチュアリ)東地区(アナトリーエクタスィ)

 

 地下水(ちかすい)道内(どうない)

 

 

 

 「このような場所に自らお越しくださり、恐縮にございます。アリエス様」

 

 「お構いなく。第一発見者は誰ですか?」

 

 「我が直属の部下なる雑兵たちです」

 

 「見回りですか・・・こんな場所まで?」

 

「それが今朝方未明、東地区の監視所に謎の通報が入りまして」

 

 

市街地の治安警護を担当する巡回警備兵団。その代表である連隊長の口調だけは淡々とした報告内容に、アリエスのムウもまた、顔色一つ変えずに黙って耳を傾けていた。

 

 

彼がじっと視線を注いでいる先は、夥しい数の死体で埋め尽くされている。

 

 

「・・・・・・」

 

 

五体満足でまともな形を留めたものは、一つも無い。

 

通路を占領するかのごとく散乱して、まるで自ら踊って壊れでもした人形の肢体のようだとムウは思った。

 

 

 「初めはイタズラかとも思われたのですが、念のために警備の雑兵らを何人か向かわせたところ――――このような有り様になっていました」

 

 

 普段は誰も足を踏み入れることのない、聖域の地下水道のトンネル・エリア。

 

 

灯りをもって入り込んだ雑兵たちは、通報の内容にあった地点に近づいていくにつれて下水のそれとは異なった、ひどく鮮烈な異臭が漂ってくることに気付いたという。

 

そして、

 

暗い通路内の一区画。そこへと導く目印か何かのように、“それ”が通路に転がっていた。

 

 

ガラス玉のように反応のなくなった目をした、人間の頭部。

 

腕。

 

 

 

 当然のことながら、警備兵たちは仰天した。それでも勇気を振り絞り、悪趣味なほど整然と並べられたその物体の行列を、目と懐中電灯の明かりでゆっくりと辿っていったという、

 

そして間もなくその光の輪の中に、ぶちまけたような血の色彩が照らし出される。

 

 

そこには

 

 

鋭利な切り口で胴体より離された、総勢十数名ほどの人間のバラバラ死体が、血の海の中で小山のように積み上げられていた。

 

 

  

「こんなに鋭利な切り口で、こんな大人数の人間たちを死体にしてしまえる力を持った使い手なんて・・・」

 

鑑識作業に当たっていた新人兵士の中には、その凄惨な光景に耐え切れずに、嘔吐を催す者も何人かいた

 

「だらしないぞ。黄金聖闘士様の前で見苦しい真似をするぐらいなら外で吐いて来い」

 

上司にどやされ、申し訳なさそうにバタバタと走り出ていく甲冑をまとった若者たちを尻目に、ムウは平然とした顔で一つ一つの死体の観察を続ける。

 

 

聖剣エクスカリバーを使う山羊座か、あるいは紫龍の乱心を疑っているのですか」

 

 「いえ、そのような」

 

 「心配ご無用・・・連隊長どの。この切り口を見てごらんなさい」

 

 「これは」

 

 「わずかですが、傷口の断面に引き攣れたような形状が見られますね」

 

 「そういえばこっちの断面痕などは、筋組織が溢れてザクロのように弾けている・・・急激な摩擦負荷がかかったということか・・・しかも皮膚表面に沿って

 

「同志だからとて庇うつもりはありませんが、一刀両断の刃であるエクスカリバーなどでは、このような荒い切断面になることは絶対にありません」

 

 「むう、確かに」

 

 「これは刃物による斬撃ではありません。ほら、こっちを」

 

 

 ムウは傍らの壁に、懐中電灯の光を向けさせた。

 

 飛び散った鮮血の間を縫うようにして、放射線状のおかしな波形の血痕が壁面のあちこちを埋め尽くしている。

 

 

 「これは何の痕でしょうね。鮮血が飛び散ったものではない。まるで紋様のようにも見える」

 

線状に走った長く細い血痕が見られます。これは、おそらくは血のついた糸のようなものが、壁に付着した痕ではないでしょうか。ただ血が噴出しただけでは、こんな形跡を描くことはまずないでしょうし」

 

 

 「・・・・・」

 

 

 あまりにも残酷な様相をもって地下通路に転がったその死体は、幸いというべきか否か、どれも聖域の住人ではなかった。

 

鑑識の調査によってすぐに明らかになった。

 

彼らは全員、多様な人種で構成された正体不明の男たちの一団であり、昨夜青歌の病室を襲ってきた連中と、ほぼ同じ装備一式で全身を重武装していたのだ。

 

3人というのはどうにも少ないと思っていたが、やはりあれはただの先発部隊だったのか)

 

 

 なんのことはない。後続のエージェントたちは、初めからここに待機していたのだ。

 

 それが、謎の第三者によって殺された。

 

 まるで青歌の護衛についていたムウたちの、先回りをするかのように。

 

 (・・・・・“(いと)”か)

 

 

 心当たりが、一人だけいる。

 

 こんなに大勢の生きた人間を、さながら人形の手足でも引きちぎるかのごとく、あっさりと絶命させるとは。

 

 

 まさしく、人形使いだ。

 

 

天貴星(グリフォン)

 

 

だが、ありえない

 

いかに三巨頭の一人であるとはいえ、冥衣もないのにどうしてこんな真似ができよう。

 

それにそもそも、理由は?

 

敵の本拠地ともいえるこの聖域(サンクチュアリ)で、なんのためにこんな真似をする?

 

聖域から再び反逆の疑いをかけられる危険を犯してまで、なんのために?

 

 

『アリエスのムウよ。なにがあっても登野城青歌を守れ』

 

 

(まさか・・・)

 

 

青歌を狙っている真の敵とは、冥界軍なのだろうか?

 

あのしたたかなる三巨頭たちのことだ。

 

冥衣に代わる新たなる力の復活を画策するために、

 

あの少女のことを利用でもするつもりなのかもしれない

 

あるいはもっと他に、冥界由来の事情が、なにかあるのだろうか?

 

登野城青歌と彼らをつなぐ、なにか

 

それはなんだ?