1999.5.3より
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2009年6月27日 The Rainmaker 自分ができないことを、敢えてを言ってみるシリーズ2
2009年6月26日 The Rainmaker 自分がえらくないことを知りつつ、敢えて偉そうなことを言ってみる。
2009年6月25日 The Rainmaker 旧司法試験 論文試験に通る二つのタイプ
2009年6月10日 The Rainmaker 「他大学ローの先生と話をしました」
2009年6月9日 A long and winding roadのコーナー内の Life is beautiful!更新 裁判員制度
2009年6月6日 The Rainmaker 番外編2「みんな中央大学ローから検事総長をめざせ!」
2009年6月5日 The Rainmaker 番外編1「えん罪 そこには弁護士の罪もある」
2009年6月2日 The Rainmaker 良いゼミの持ち方
2009年6月1日 That's Entertainment !内の Nuevo Cinema Paradiso更新。
2009年5月31日 The Rainmaker チャンス到来
2009年5月25日 The Rainmaker これからの優れたローの選び方1
2009年5月22日 The Rainmaker 雑誌から法律基本科目を学ぶ
2009年5月21日 The Rainmaker 『解くな。読め』 『新司法試験問題 短答式 憲法』
2009年5月19日 The Rainmaker 試験直後の今、差をつけろ!
2009年5月18日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新 長谷川さんの傍聴日誌45
2009年5月15日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新 再び大阪高裁で勝訴!
2009年5月15日 The Rainmaker 「ロースクールで一番大事なこと」
2009年5月7日 The Rainmaker 司法試験「来た球を素直に打ち返せ」
2009年5月4日 The Rainmaker 『新司法試験民亊系の勉強の仕方1』
2009年5月3日 That's Entertainment !更新 「それぞれに歌え、9条」
2009年5月2日 The Rainmaker 『新司法試験刑事系第一問の勉強の仕方1』
2009年4月30日 The Rainmaker 『新司法試験まであと10日』
2007年4月7日 A long and winding road 長く曲がりくねった道 村上 春樹 『エルサレム賞』受賞挨拶
2009年4月6日 The Rainmaker 『ロースクールの主人公』
2009年3月28日 原爆症認定訴訟 近畿弁護団通信 直接リンク
2009年3月27日 The Rainmaker 『受験勉強とは何か』
2009年3月26日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新 <3号被爆者>手帳交付申請の却下処分を取り消し 広島地裁
2009年3月20日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新
2009年3月18日 The Rainmaker 試験のことだけ考えよ
2009年3月17日 Still crazy 友のために働け
2009年3月16日 The Rainmaker 再現答案を読め!
2009年3月12日 The Rainmaker 全く勉強が手につかなかった 純粋未修ロー新入生の皆さん
2008年12月26日 The Rainmaker 常に不安を胸に。 常に1ミリずつ前進せよ。
2008年12月10日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 「本質」
2008年12月8日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 「法科大学院の定員制限」
2008年12月2日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 1 山をかけるな 2 ゼミは慎重になれ
2008年11月13日 A long and winding roadのコーナー内の A long and winding road 更新
2008年11月09日 The Rainmaker 法律勉強法コラム あと半年で司法試験に合格する方法
2008年11月09日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 弁護士2人 野球独立リーグへ!
2008年11月5日 What a wonderful world!内の 我ら関学!編
2008年10月31日 What a wonderful world!内の Isn't she lovely? ハローウィン編
2008年10月22日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 学問の自由
2008年10月21日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新
2008年10月15日 That's Entertainment !内の My life as a dog更新。 脳みそがちっちゃくなっていた私
2008年10月8日 A long and winding road内の Life is beautiful! いじめる側にもいじめられる側にも尊厳がある
2008年9月30日 A long and winding road内の A long and winding road 代表民主制と議院内閣制の終焉
2008年9月29日 The Rainmaker 法律勉強法コラム 「ある関学ロー生の一発合格」
2008年9月20日 A long and winding road内の A long and winding road 「藤原精吾弁護士という人」
2008年9月15日 The Rainmaker 新司法試験 短答対策1 修正
2008年9月12日 The Rainmaker 新司法試験 短答対策1
2008年9月11日 The Rainmaker ほら、勝ち始めた関学ロースクール
2008年9月11日 The Rainmaker 私が通らなかったころ1・2
2008年9月10日 A long and winding road内の A long and winding road 「とうとう。日本の米が。」
2008年9月9日 The rainmaker 法律勉強法コラム 「ロースクールの授業の作り方」
2008年9月7日 A long and winding road内の A long and winding road 「橋下徹大阪府知事に関する予言」
2008年9月5日 What a wonderful world!内の 「私の見た北京オリンピック(私家版)」作成
2008年8月28日 The rainmaker 法律勉強法コラム 私から見た関学ローが勝つ理由3
2008年8月28日 A long and winding road内のA long and winding road 「巨星」 弁護士澤藤統一郎先生を語る
2008年8月27日 The rainmaker 私の嫌いな法曹養成制度2
2008年8月26日 The rainmaker 同じ法学部に入って
2008年8月24日 The rainmaker 改訂 私の嫌いな法曹養成制度1
2008年8月16日 A long and winding road内のLife is beautiful! 「私が不動産を所有しない理由」
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2008年7月28日 That's Entertainment !内の Nuevo Cinema Paradiso更新。初めて宮崎駿を語る。
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2008年7月27日 That's Entertainment !内の That's Entertainment !更新
2008年7月26日 A long and winding roadのコーナー内の still crazy 更新
2008年7月25日 The rainmaker 大改訂 私から見た関学ローが勝つ理由1・2
2005年7月25日 リンクページ French Connection 法律関係大改訂
2008年7月19日 The rainmaker 大改訂 基本書 大推薦
2008年7月18日 still crazy 更新
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2008年7月17日 Stay Gold! 更新再開!
2008年7月16日 ブログ日記 just the way you are 再開! |
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このホームページの名前「Stay Gold !」の由来について
フランシス・F・コッポラ監督の愛すべき作品『アウトサイダ−』。その主題歌が、スティービー・ワンダーの「Stay Gold」でした。自分に対しても、ここに来てくださるみなさんにも、大切に贈りたい言葉なのです。
1991年から弁護士をしている徳岡宏一朗と申します。2004年からは関西学院大学法科大学院で専任教授をしています。
1998年からLEC東京リーガルマインドという資格予備校で、2006年には伊藤塾という受験指導校で、司法試験やロースクール入試の指導をしました。そのときの講師名「宮武嶺(みやたけれい)」のほうが、知っている方が多いかもしれません。
妻「イエティ」の夫で、長女未来のお父さん。
映画とマンガと海外旅行をこよなく愛する、そんな彼のホームページです。
写真:私が敬愛する被爆者山口仙ニさんと。長崎にて06夏。
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| 大阪憲法ミュージカル ムツゴロウ・ラプソディ |
No.81 - 2009/07/03 |
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大阪憲法ミュージカル2009「ムツゴロウ・ラプソディ」
2009年今年の夏に大阪で、干潟のミュージカルが公演されますので紹介します。 九州の有明海諫早湾でギロチン水門としても有名な諫早湾干拓事業をテーマにしたミュージカルで、舞台は干潟、ムツゴロウをはじめ渡り鳥やいろいろな干潟の生き物も登場するストーリーです。
出演者100名以上を一般からオーディションで応募して、現在稽古が進んでいます。弁護士さんたちが立ち上げた企画で、元々は人権問題をテーマにしたミュージカルなのですが、昨年佐賀地裁で諫早の開門命令の判決が出たことなどもあり、今年は諫早湾干拓事業をテーマにして人権と共に環境問題も訴える作品になったそうです。
干潟のいろんな歌があって、泥の干潟の歌、生き物たちの求愛の歌、アゲマキとかアカニシとかシャミセンガイなんかも歌詞に出てきたりして、それに振り付けがついて面白かったです。歌と踊りで潮の満ち干きや干潟の四季も表現されていて、練習でもその迫力に圧倒されました。
大阪府下5箇所6公演が予定されています。干潟や自然に興味がある方にもたくさん見に来てもらいたいとのことですので、ご興味のある方はぜひご友人も誘ってミュージカルを見に来てもらえれば嬉しいです。
「ムツゴロウラプソディ」 作・演出/田中暢 振付/石橋寿恵子 音楽/Matsunobu 公式HP:http://www.parr-mark.jp/mutsugoro.html
<公演予定> 6月20日(土)厚生年金会館(大阪市)昼夜2公演 昼の部 開場12:30 開演13:30 夜の部 開場17:00 開演18:00 満員御礼終了
6月21日(日)吹田メイシアター(吹田市) 開場16:00開演17:00 満員御礼終了
7月 4日(土)高槻現代劇場(高槻市) 開場17:00開演18:00
7月 5日(日)八尾プリズムホール(八尾市) 開場17:00開演18:00
7月12日(日)ラブリーホール(河内長野市) 開場14:30開演15:30
《主 催》 大阪・憲法ミュージカル2009実行委員会
《後 援》 大阪府、大阪府教育委員会、大阪市、大阪市教育委員会、 吹田市、吹田市教育委員会、高槻市、高槻市教育委員会、八尾市、八尾市教育委員会、河内長野市、河内長野市教育委員会、大東市、大東市教育委員会 《連絡先》大阪・憲法ミュージカル2009実行委員会 〒542-0012 大阪市中央区谷町6丁目4番8号新空堀ビル306-1号室 TEL.06-6180-6900 FAX.06-6180-6901 E-mail:kis_hrn@yahoo.co.jp
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| 佛教大学「原爆と戦争」が始まった |
No.80 - 2009/06/30 |
写真 長崎での被爆体験を語り、核兵器と戦争のない社会を訴えた眞柳タケ子さん(京都市北区・佛教大)
「核兵器と戦争」のない社会を訴え 佛大 被爆女性が経験談 京都新聞6月29日
京都市北区の佛教大で29日、社会福祉学部主催の公開講演と展示企画「原爆と戦争」が始まった。長崎で被爆した眞柳タケ子さん(65)=京都府城陽市=が学生たちに核兵器と戦争のない社会を訴えた。
同学部を中心とする学生が「やったろーやん核兵器も戦争もない世界に」をテーマに企画した。
この日は眞柳さんが、黒岩晴子教授の「医療福祉総論」の授業で講演した。眞柳さんは1歳の時に母親と一緒に被爆した。自身に記憶はないが、イラク戦争をきっかけに、母親から聞いたことと自分の経験を伝える「平和の語り部」として活動している。
川のそばに重なる死体など「悲しくて見ることができなかったと母が話していた」という当時の状況や、病気で亡くした長男のことを語り、「子どもや若い人たちに、こんな経験をさせたくない」と訴えた。「戦争は絶対にいけない、核を落としてはいけないということを心の中に持ち、世界が平和に暮らせる世の中にしてほしい」と語り掛けた。
7月2日まで、広島と長崎の原爆被害やイラク戦争に関する写真展が鷹陵館1階の会議室で、原爆や戦争の被害者の講演が多目的ホールで行われる。問い合わせは大学代表Tel:075(491)2141から社会福祉学部資料室へ。
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| 佛教大学「原爆と戦争展」のご案内 |
No.79 - 2009/06/24 |
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佛教大学「原爆と戦争展」の案内
<佛大発信> やったろーやん!核兵器も戦争もない世界に! テーマ 「原爆や戦争を知った一歩先をめざそう!」
下記日程で「原爆と戦争展」を開催します。現在、学生たちが準備中です。今年は、平和でつながる共生(ともいき)の‘縁‘プログラムとして、大学の企画としても認めていただきました。 近年、被爆者や戦争体験者の方々が高齢化しており証言する方も減ってきております。この機会に出来るだけ多くの方に体験を聴いていただきたいと思います。 証言をしてくださる方々は語るだけでなく、若い人がどのように戦争や平和について考えているのかを聞いて、これからのことを一緒に考えていきたいと希望されています。 日程をご案内します。いつでもご参加いただけますので、お知り合いにすすめてくださればありがたいです。
6月29日 (月) 12:50〜14:20 被爆体験を聴く・交流 6−301 教室 長崎の被爆者:眞柳タケ子さん 6月30日(火) 10;40〜12:10 被爆体験を聴く・交流 多目的ホール 広島の被爆者:小高美代子さん 12:50〜14:20 被爆体験を聴く・交流 多目的ホール 広島の被爆者:花垣ルミさん 7月1日(水) 9:00〜10:30 被爆体験を聴く・交流 多目的ホール 広島の被爆者:花垣ルミさん 10:40〜12:10 平和紙芝居の上演 多目的ホール 紙芝居文化の会:高越恵美子さん 大阪旭区平和委員会 紙芝居プロジェクト 吉田穂高さん 7月2日(木) 10:40〜12:10 戦争体験を聴く・交流 図書館5階常照ホール 京都高齢者協働組合の皆さん
*第一会議室ではパレルや写真、絵本、紙芝居、書籍等を展示しています。今年は、立命館 大学平和ミュージアムからも平和教材をお借りしました。
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| 軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略 |
No.78 - 2009/06/19 |
□■市民社会フォーラム第48回例会のご案内■□ 足立力也さん講演会 軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略 「改憲手続き法(国民投票法)」施行を1年後に控えた今、 「海賊新法」や「恒久派兵法」の動きなど、 「軍隊を持たない」と世界に誓った憲法9条の理念が骨抜きにされようとしています。 こうした日本の現状と対比して、 1948年に軍隊を廃止したコスタリカの歴史、社会、文化について知ることは、 平和憲法の意味を捉え直す上で、 重要な視座を提供することになることでしょう。 今回の例会では、 『丸腰国家〜軍隊を放棄したコスタリカ60年の平和戦略』(扶桑社新書)と 『平和ってなんだろう?〜「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』(岩波ジュニア新書)を最近著された、 足立力也さんをお招きし、 「軍隊を持たない文化」を作り上げてきた、 コスタリカの現実について、ご講演いただきます。
★大阪・梅田会場 日 時 6月19日(金)18時30分(開場18時)〜20時40分 会 場 伊藤塾大阪梅田校
・会場アクセス JR大阪駅より徒歩5分/阪急梅田駅より徒歩3分 大阪市北区芝田2-7-18 オーエックス梅田ビル新館5階 電話06-6372-0610
◆参加費 500円
共 催 健康道場サラ・シャンティ 日本国際法律家協会関西支部 協 賛 九条の会ひょうご 神戸学生青年センター 神戸ラブ&ピース DAYS JAPAN関西サポーターズクラブ トランセンド研究会 被災地NGO恊働センター 非暴力平和隊・日本 平和の井戸端会議 法学館憲法研究所 |
| 女性の権利110番 |
No.77 - 2009/06/16 |
■□■□■□ 女性の権利110番の実施について ■□■□■□
女性に対する暴力(ドメスティック・バイオレンス、ストーカー、セクシュアル・ハラスメント)や離婚に関する諸問題など、女性の権利一般に関する無料電話相談・面談相談を下記の通り実施します。
弁護士が、無償で対処方法や正しい法律知識を提供し適切なアドバイスを行いますので、お気軽にご相談下さい。
◎日 時◎ 2009年6月23日(火)午前10時〜午後4時
◎電話相談◎ 予約不要・6月23日(火)に直接おかけ下さい。 TEL:078−341−1000
◎面談相談◎ 要予約 相談時間は1人30分程度。 (1)神戸市男女共同参画センター(あすてっぷKOBE) 神戸市中央区橘通3−4−3 予約電話番号:078-361-6977 (6月9日(火)午前9時から先着順で予約受付〜
(2)姫路市男女共同参画推進センター(あいめっせ) 姫路市本町68番地290イーグレひめじ3階 予約電話番号:079-287-0803 (6月10日(水)午前9時から先着順で予約受付)
◎主 催◎ 兵庫県弁護士会・日本弁護士連合会 ◎共 催◎ 神戸市男女共同参画センター・姫路市男女共同参画センター ◎問い合わせ先◎ 兵庫県弁護士会 TEL078−341−7061(代)
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| 被爆者「電話なんでも相談」 兵庫 |
No.76 - 2009/06/12 |
兵庫県で被爆者「電話なんでも相談」が行われます。
日時;2009年6月14日(日)10時〜16時
電話番号;078−858−7552 078−858−7554
兵庫県でも160人以上の方が原爆症認定申請を行い、60人以上が認定されましたそうですが、申請しても審査されずに「塩漬け」状態に置かれている例もたくさんあります。
兵庫県4800人の被爆者の相談事を解決するべく、弁護士や医療関係者(医師・看護師・医療相談員)が相談員となった、電話相談が今回おこなわれます。
ぜひ、お知り合いの被爆者の方にも声をかけていただき、一人でも多くの方が相談されるようにお取りはからいください。
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| 麻生太郎に内閣総理大臣の器なし! |
No.75 - 2009/06/09 |
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原爆症認定訴訟で首相、一括解決は「法的に難しい」 2009.6.9 19:26 産経新聞
麻生太郎首相は9日夜、原爆症認定集団訴訟で東京高裁判決に対する上告を断念したことに関連し、与野党や原告団から一括解決を求める声が出ていることについて、「一人ひとり(症状などの)内容が違っているので、一括というのは法的には難しいのではないか」と述べ、否定的な考えを示した。 上告断念については「被害者の立場に立って決断した」と強調したが、認定基準の緩和は「現在、検討中であり、この段階では即答しかねる」と述べるにとどめた。首相官邸で記者団の取材に答えた。
一人ひとり内容が違っていない集団訴訟などあるわけない。
たとえば、薬害エイズ訴訟や薬害C型肝炎訴訟であれば、病名だけは一致しているが、なぜ、罹患することになったのか、現在の健康状態はどうなのか、など、全く違う。
水俣病という公害の大事件があるが、もちろんもともとそういう名前の病気があったのではなく、有明湾のあの地域に住んで、チッソという企業が垂れ流した水銀を含む魚介類を多年にわたって摂取して、すさまじい多種多様の症状を呈したのである。 その症状は分類できることはできるが、一様ではない。
ひるがえって、被爆者の原爆症は病名は多岐にわたるけれども、原因はアメリカが広島・長崎に投下した二発の原子爆弾から発した放射線を直接間接に浴びて生じたものであり、原因は、ただ一つ。原告被爆者によって違うということは一切ない。
さらに、被爆後急性症状を起こす、「原爆ぶらぶら病」という名前が生まれたくらい体がだるい、と共通の症状がある。
被爆者と厚生労働大臣が直接お話をした直後の夜に 「一人ひとり(症状などの)内容が違っているので、一括というのは法的には難しいのではないか」 と、よく検討もせず、知りもしないで言い放つとは、麻生太郎とは、どういう人間性をしているのか。
64年前、何の罪もなく原爆投下に遭い、愛する人を喪い、街を喪い、放射線の恐怖に苦しめられ続けてきた、平均年齢75歳を越す被爆者が、24万人。
原爆症裁判で国が6年間粘っても18連敗。その間に、300人の原告のうち70人が亡くなっていることを、知っての発言か!
あなたの不用意な言葉で、どれだけの被爆者が胸つぶれる思いをしたと思うか!書いている戦後世代の私の涙が止まらないのだから、当の被爆者の方がなんと思っておられるか。。。
麻生さん。 日本の首相とは日本と日本人を愛する心と能力をもっとも持った人間がやる仕事じゃないんですか。
あなたは、その仕事は辞めたほうがいい。
昼には8月まで検討すると厚生労働大臣が言ったのに、その晩には首相が一括救済は難しいという。 ということは、8月の原爆記念日までやりすごして、検討は致しました、が、ご期待には添えませんでした。
それでお茶を濁してしまうつもりなのか。
為政者とは、かくも国民の健康や死に無関心なものなのか。
ひさびさに他人に強い怒りを感じました。
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| 舛添大臣 被爆者に約束す |
No.74 - 2009/06/09 |
本日、厚生労働省は東京高裁での敗訴判決を最高裁に上告することを断念。 舛添厚生労働大臣が被爆者と面談。 その後、同大臣は記者会見で、原爆症認定基準の見直しを約束しました。 見直しの中身が真に国家補償の精神から、被爆者援護になるようなものかどうか、常に圧力をかけ続けなければなりません。 世論だけが強い味方です。よろしくお願いいたします。
以上のとおり、本日、6月8日、12時35分ころから20分間、舛添厚労大臣に面談しました。その際の舛添大臣の発言を反訳しました。
========= 【厚労大臣:冒頭挨拶】 じゃああのー、時間がちょっと短時間で。 今日は皆さんお越し頂きましてありがとうございました。 もっと広い場所で本来はと思いましたが、委員会の都合で一日も早くと思いましたものでこういう形でお会いさして頂きました。 今朝上告しないと言うことで決めさせていただきました。 今日は、本当に時間が限られておりますけれども、皆さん方のご要望を頂きまして、これからの大きな方針を決めたいと思っております。 是非そんなことで忌憚のないご意見をうかがえればと思いますので、よろしくどうぞ。
《被爆者の話》
【厚労大臣の発言本体】 どうも皆さん今日は本当にお越し頂きましてありがとうございます。 いろんな被爆の時の、この前西本さんからもお話をききましたし、皆さん方の状況は良く分かっています。 それで、まず一つはですね今日、上告をいたしませんでした。 そういうことを踏まえて、河村官房長官、河村さんも一生懸命この問題取り組んでこられています、一番良く官房長官事情お分かりだと思いますので、よく2人で議論し、そして最終的には麻生総理にご決断を頂きたいというふうに思っています。 そのための作業を直ぐはじめたいと思っております。その中で、いろんな要素がありますけども、まず甲状腺、肝機能に関する司法の判断がありました。6月20日過ぎに医療分科会が開かれますので、ここでまず議論をして頂きたいと思います。 その上で今の皆様方のご意見を頂きながら、ひとつはやはり18回続けて国が負け続けてきたということの司法の判断の重みというのは、われわれは政治家としてこれは重く受け止めなければならないだろうということであります。 それからもう一つは、6年間、訴訟で大変この苦労をなさった、そういうことがなければこの認定の問題もなかなか世間の耳目を集められないと、まあ、差別の話しもありました。そういうことのこの訴訟の重み、皆様方のご努力ということもこれは十分勘案しないといけない。 それから、常に私が申し上げているように、まあ、先ほど戦争の話しもありましたけれども、皆さんの責任ではありませんから、これはアメリカが原爆落としてその被害者になったのですから、それから64年ということの長い年月の歩みを考えれば、もう皆さんご高齢で大変ご苦労なさっていると、そういうことも勘案しないといけません。 それで、司法の判断を重く受け止める、もう一つは国民の皆さんの連帯で、支え合うということが一番必要なわけですから、こういう状況ですから、国民の皆さんしっかり原爆の被害に遭われた方にご支援をいたしましょうということを、わたしから国民の皆さんに方にお願いするときに、それはそうだと、そういうことをしっかり言ってもらうために、国民の皆さん方に対する説明をきっちりしていきたいと思います。
そういうことのためにも、やはりお医者さんや科学者・研究者のこういった方々の意見もきちんと尊重しないといけないと思いますので。そういうことを総合的に勘案する、その中で、弁護士の先生方とも技術的なことはお話をして、どういう形で、例えば、皆様方のご要望をお答えすることができるのか。いろんな問題がありますけれども、一つ一つ着実に歩を進めていきたいというふうに思います。 寺田先生はじめ、与党の先生方も大変ご苦労なさって、いろんなアイデアを出して頂いていますので、そういうことも参考にしながら、これはいつまでものんべんだらりとやっている話しではありません。かといって、あまりに拙速で、国民の理解を得れないということであってもいけません。それから、やはりお医者さん達も一生懸命、これまで認定の基準を上げていく、そして、司法も個別のケースで総合的に判断する、こういうこともできましたから。 なかなか皆さん方の思いに100%今までも答えられていないかもしれませんけども、私もやがて大臣になって2年経ちますけども、できるだけの努力はこれまでもしてきましたので、今後ともですね、皆さん方の思いを共有しながらいきたいと。 特に、この前国会でも申し上げましたけれども、私は原爆が長崎じゃなくて手前の小倉で落とされていたら今ここに居ないわけですから、本当に長崎の皆さんのことは自分のことのように考えておりますので。 そういう意味で、これは、今朝も官房長官とお話ししましたけれども、官房長官は本当に一番良くお分かりになっております。 そして、麻生さんも私と同じ福岡ですから、長崎、同じ九州ですから、もちろん広島も近いですし、麻生総理も同じ気持ちでおられますので、私と河村さんとで一生懸命、素案を作って、そしてできるだけ早くお医者さんの先生方のご意見を頂いた上で、そして、また細かい技術的なことは弁護士の先生方ともお知恵を拝借しながら前に進めたいと思いますので、是非お元気で日々をお過ごし頂くように、お祈りを、お願いを申し上げて。 本当はもっともっとゆっくりお話したかったんですけども、とにかく一刻も早くと思いまして、また、今から1時から厚生労働委員会が始まりますのでこのあたりで終わらさしていただきますけど。 一つこれはもう国民の全体の課題として、この問題が終わらなければ戦争は終わらない、そういう気持ちで取り組みたいというふうに思っていますので、どうかよろしくお願いします。 以上
原爆症認定、8月までに基準見直し 政府、上告の見送り表明 日本経済新聞 6月9日
原爆症の認定集団訴訟で、原告30人のうち29人を原爆症と認定した東京第1次訴訟の東京高裁判決について、舛添要一厚生労働相は9日の記者会見で、判決を受け入れ上告を見送ると表明した。舛添厚労相は「判例や論理的にも上告する必要はないと判断した」と説明。同日午後に面会した原告・弁護団に対しては「国民に支持してもらえる良い方法で一日も早く解決したい」と述べた。
国の上告断念を受け、河村建夫官房長官は9日午前の記者会見で「これまでの判決を精査したうえで、今の認定基準の中で何が欠けているかを検討する必要がある」と述べ、認定基準の緩和を検討する考えを示した。政府高官は「8月の原爆の日までに方向性を示したい」と語った。
5月28日の東京高裁判決は、昨年4月実施の新基準で認められなかった肝機能障害や甲状腺機能低下症の2疾患などの原告9人を新たに認定。2003年に始まった集団訴訟で国は18連敗となった。判決後、原告側は訴訟解決に向けて全員救済を要求。(13:37)
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| 舛添厚生労働大臣ついに面会拒否を断念。9日に被爆者と面談! |
No.73 - 2009/06/08 |
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厚労相、9日に原告らと面会 原爆症訴訟 日本経済新聞 6月8日
原爆症集団訴訟で原告30人のうち29人を原爆症と認めた東京高裁判決を受け、厚生労働省は8日、舛添要一厚労相と原告・弁護団が9日面会すると発表した。舛添厚労相は当初、上告期限の11日以降に面会する意向を示していたが、原告側の強い要請を受けて前倒しした。原告側は原爆症認定基準の緩和や原告の全面救済を求める方針。
原爆症訴訟対応/政権の感度問われている 河北新報 6月8日社説
原爆症の認定を求めた集団訴訟で、国が敗訴した先月の東京高裁判決に対する上告期限は11日。政府はぎりぎりまで検討を続けるつもりらしい。
原告勝訴の判決は、地裁、高裁合わせて今回が実に18回目になる。そのつど、国の認定基準よりも幅の広い救済判断が示されてきた。国の賠償責任を認めた例だってあった。
司法からのメッセージが、救済の早急な拡大であることは明らかである。それなのに政府の対応は鈍かった。
原告団は約300人の原告全員の救済を求めてきた。厚生労働省は反対してきた。双方とも「政治の決断が必要だ」と言っている。それなのに先送りを重ねてきた。
麻生太郎首相が優柔不断だからではないのだとすれば、問題意識が薄すぎるのではないか。そう問われていることに気付いていれば、首相官邸の対応は恐らく違っていたはずだ。
原爆症の認定申請を却下された人たちの集団訴訟は、2003年から仙台を含め全国17の地裁で提訴された。このうち去年5月の仙台高裁をはじめ、既に高裁で3件、地裁で1件の原告勝訴判決が確定している。
「二審でも争ったのは、被爆者援護法の救済の精神に照らすと柔軟な対応に欠けると言わざるを得ない」。仙台高裁判決は、救済理念の欠如、行政の硬直性をそんなふうに批判した。
ことし3月の広島地裁判決は、国が認定審査機関に再検討を促したり、独自に調査したりしなかったことを挙げ、「職務上の注意義務を尽くすことなく、漫然と申請を却下した」と判断して国家賠償を命じている。
今回の東京高裁判決も含めて、判決の中には原告の一部を認定しなかったものもある。厚労省が「全員救済」に反対しているのは、そのためだ。
細部への「官」のそのこだわりに、どれだけ意味を見いだすべきかが問われている。「漫然」とまで指摘され、理念の欠如や硬直性を批判された「官」に、反省を促し、脱皮させるのが「政」の仕事ではないか。
小泉純一郎政権のハンセン病国賠訴訟での対応を思い起こす。熊本地裁での敗訴判決(01年)に対して厚労省、法務省の主張を抑え、控訴を断念した。
核廃絶に寄せる国際社会の関心が高まっている。遅すぎたにしても、被爆国としての救済のありようを今、大きく転換する意義は小さくはない。
小泉政権の流儀に安易に倣えば、パフォーマンス優先やら政権浮揚策やらの批判は免れない。しかし、この問題で矢面に立つことになるとは思えない。
時流におもねる政策は困る。だが、時流を読む感度を持てない政権に、感銘や共感を呼ぶ政治は望めないのではないか。
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| 厚労省前第2次座り込み ☆6月9日スタート☆ |
No.72 - 2009/06/05 |
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厚労省前第2次座り込み☆6月9日スタート☆
原告・被爆者、そして世論が求める認定基準の拡大や原告全員救済について、官邸も、厚労大臣も一向に前向きな姿勢を見せません。 このような事態をふまえ、5月28日の東京高裁判決を原告全員救済につなげるために、6月9日から第2次座り込みが決まりました。
全国のみなさんへ
原爆症認定集団訴訟・全面解決を求めて第2次座り込みを実施しす。 原爆症認定集団訴訟・5/28東京高裁判決を受けても厚生労働省に解決の意思はありません! 厚生労働省は、被爆者・原告との約束を反故にし、今週の大臣面談を拒絶しました。こうした状態を打開するため、原告・被爆者は、6月9日からふたたび座り込みに入ることを決断しました。
舛添厚生労働大臣は、東京判決直後、「原告のみなさんとお話をして要望をお聞きしたい」と述べていましたが、6月2日になって、会うのは「上告期限の11日以降に」と言い出しました。被爆者はそんなに待てません。舛添厚生労働大臣は、まず、被爆者・原告と面談してその声を聴くことを要求します。
厚労省は、東京高裁判決に対して上告の可否を検討するだけで、全面解決について何も考えていません! 6月2日の厚生労働省と原告らの交渉で、厚生労働省の担当者は、「上告もありうる」と発言し被爆者の怒りをかいました。全面解決の中身については、何一つ発言がありませんでした。 厚労省に任せていては訴訟は解決しません。
全国からのご参加よろしくお願いします。 座り込みは以下の日程でおこないます。(当面9日〜12日までの4日間) 6月9日(火) 11:00〜座り込み開始 6月10日(水) 10:00〜17:00 6月11日(木) 10:00〜17:00 6月12日(金) 10:00〜16:00 ※場所は1回目と同じ日比谷公園のかもめ広場。厚労省側です。 2009年6月3日 日本原水爆被害者団体協議会 原爆症認定集団訴訟全国原告団 原爆症認定集団訴訟全国弁護団 原爆症認定集団訴訟を支援する全国ネットワーク
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| 舛添厚生労働省大臣の個性の問題なのか。 |
No.71 - 2009/06/03 |
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約1年前、原爆症訴訟で負け続け追い詰められた政府は、舛添厚生労働大臣が直接被爆者と面談することに合意しました。 Aはその際の舛添発言の一部速記録です。実に良くしゃべる人です。
さて、その中で彼は、饒舌なくらいに馬鹿丁寧に、「とにかく急ぐんだ、時間が無い、お亡くなりになった方がおられるということがあります」と述べています。
しかも、「非常に、私自身がこの司法の判断を重く受めているということをまず申し上げたいと思います」といっていました。
にもかかわらず、その後も連敗記録を積み重ねたにもかかわらず、どの裁判も続き、厚労相の制度改革も全くしようとしません。
5月15日大阪高裁、28日の東京高裁判決を受け、全国訴訟団は即時、厚生労働大臣との面会を求め、厚生労働省前にテントを張って、被爆者、支援者、弁護士が抗議行動を開始しました。
すると、厚生労働省の事務方より、翌週6月1日からの週に厚生労働大臣が会うので、テントは撤去してほしい旨の連絡があり、テントは撤去されたのです。
ところが、翌週6月1日になって舛添厚生労働大臣は6月11日の上告期限を待って検討してから被爆者との面談を考えたいと言い出したのです。 彼には人としての信義というものはないのか。自分が他人の生命を扱う極めて大きな責任を負った大臣であるという意識はないのか。
Bに書いたのは、怒り狂った訴訟団が厚生労働省の役人とやりとりしたときの、ある弁護士の事実経過に関する発言の一部です。
舛添氏が被爆者の方々と会いたいと急に言い出しても、もう会わなくて良いかもしれないとさえ思います。会うだけ被爆者の方々も不快で健康に支障をきたされるかもしれないし、彼がいくら約束してもまず守られないと思ったほうがいいんですから。 ただ、弁護団には最初に大臣から握手を求められたら、無視するとか、手をはたいちゃうとか、してほしいんですが、我らの弁護団を代表する彼らはそんな子供じゃありませんから、ありえないことです。
ほんとに6月11日かそのあとに舛添氏が被爆者と会う勇気があるのか、どっか外遊でもしてしまうのではないか、その法が心配です。
A 2008年(平成20年)6月5日 桝添厚労大臣の被爆者・原告に対する発言 桝添厚生労働大臣 どうも今日は皆さん遠くから足下の悪い中いらしていただいてありがとうございます。また、与党の先生方もいろいろご尽力いただきましてありがとうございます。
最初に、仙台大阪この二つの判決は非常に(!)重く受け止めるべきだ、こういうふうに思っておりますので、そういう観点、それから今日皆様方の直接のお訴えも耳にいたしました。積極的にやれることはやる、そういう姿勢で対応したいというふうに思います。今、判決文を読み、それから法務省・財務省はじめ関係省庁との調整をやっておりますし、福田総理がご外遊中ですのでお帰りになりましたら早速、この件を引き継いできちんと説明申し上げ、みなさん方のメッセージもお伝えし、先ほど総理との面会というこれも総理にもきちんと申し上げたいと思います。そういう中で、非常に、私自身がこの司法の判断を重く受めているということをまず申し上げたいと思います。それから、もう一つは、とにかく急ぐんだ、時間が無い、お亡くなりになった方がおられるということがありますんで、それから今弁護士さんのほうから厚生行政の延長線でやれるじゃないかということもありましたんで、何が一番迅速に救えるか、認定基準の問題は、司法の判断を重く受け止めます。ただ、私昨日の委員会で申し上げたように新たな認定基準を一から作り直すことの方が早いか、総合的判断をすることのほうがいちばんみなさんの利益になるか、皆さん方の利益になるのがどの方策が一番利益になるのか、そういう観点も入れながらですね、きちんと検討したいというふうに思います。それから司法の判断、これは非常に重いものと先程来申し上げていますけれど、それとの行政の乖離をよくみなさんおっしゃるようにどうして埋めていくか、これはもう、早急に作業にとりかかりたい、ただ、何度も申し上げていますように、時間を争っているということも念頭におきながら、対応して参りたいと思いますので、大至急、関係省庁とこの、連絡・協議を重ね、総理がお帰りに、今日の夕方ですかお帰りになります、その後、できるだけ早い時期にお会いしてきちん政府全体としての対応を決め手できれば来週にでもなるべく早く決めたい。ただ、これで終わったわけではなくて、地裁でまだ係争中のものもございます。それから今日来られてるまだ、判決出てない、ですかね、そういうところもあります。こういうこと全体についてどうするのか、ということも必要です。で、私は、最終的には国民の賛同とご指示があれば、必ず途は開ける。どうしてもまあ、皆さん方の全く罪でなくてアメリカが原爆落としたからこういうふうになってるんですけど、ただ、やっぱり最終的には国民のみなさんの税金を使わないといけないわけですから私のほうできちんと国民のみなさんにご説明を申し上げて、昨日の委員会で申し上げたように、みんなで助けるんだ、こういう気持ちをみなさんに持っていただけるような説明をしたいというふうに思います。国民全体の課題として取り組めるように。私の気持ちはそういうところにある、というふうに伝えたい。総理に伝えたい。是非がんばってやりたいと思います。本当に今日はありがとうございました。
B 実は,私と甲さんと電話しましたよね,29日の日ね,あれは確か2時40分くらいだと思うんですけれども,私の方から宮崎さんのほうに電話を差し上げて,テントを撤去する問題とか,いろいろな問題があるので,厚労大臣の面会について,時期を来週の前半に設定してくれという申し入れをしましたよね。 甲 その場で私… 乙 で,それに対して,あなたの方で,来週の時期は何日ということは言えないけれども,厚労大臣が被爆者と面談する方向で検討していると,これは面談するという風に理解していいかとお聞きしたところ,そういう趣旨でいいというお答えでしたよね。で,その後,私はこのことをマスコミに公表してもいいかということをお聞きしたら,甲さんのほうでそれはちょっと待ってくれと,大臣の方と連絡を取って,公表していいかどうかについては折り返し連電話を差し上げますということで,お待ちしていたら,電話がありまして,大臣の秘書官か誰かと連絡とったと思うんですけれども,大臣サイドと連絡をとった上で,オッケーだと,マスコミに公表していいと。私どもはそれを皆さんにお伝えして,来週前半に大臣がお会いになるということであればテントを撤去しましょう,併せて,同じことを私どもはマスコミに公表しました。来週前半に大臣がお会いになるという確約が得られたので撤去しますということで,その流れからすると,明らかに大臣サイドが虚偽の事実を私たちに伝えた。本来であれば,被爆者の声を聞くということであれば,直ちに聞いて,被爆者の意見を取り入れた形で政策立案をするというのが筋道だと思いますよ。政策を1週間も経って作った後に,被爆者と会って話を聞くのではなくて,まず,判決の内容と被爆者が今どういう思いで判決を勝ち取って,18回の裁判の中でどういう思いで戦ってきたのか,厚労大臣は直接聞いていただいて,そこを出発点に解決策を考えるというのが筋だと思いますよ。私はそう理解しました。前半に会うっていうことは。そういう関係で,非常におかしな決定。なぜ大臣がそのようなことを言われたのか,豹変されたのか。分かりません,私には。
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| 被爆者はもっと大事な時期に見捨てられた |
No.70 - 2009/05/31 |
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谷口稜曄(たにぐちすみてる)少年の被爆から数日後の写真。
長崎で郵便配達中に被爆する。彼の背中を貫いた放射線と熱線は、遺伝子レベルまで背中を焼き尽くし、背中は真っ赤に染まった。 赤い背中となった谷口少年は、うつ伏せのままの4年間の闘病生活を送り、胸は床ずれで骨までえぐられた。十数回に及ぶ皮膚移植手術は失敗し、背中には薄い膜が張っているだけ。それでも谷口少年は生き延びた。妻・栄子さんは谷口さんの体重維持と薬を塗る作業が日課。体重が増えると背中が裂け、化膿する。また、原因不明の石灰質の肉塊が繰り返し出現する。
背中から皮膚呼吸が出来ないため、谷口さんの声は小さい。体温調節も難しく、夏は焼けるように痛い。車や電車では背もたれに身を預けられない。「こんなにした原爆、原爆を作った人間、原爆を作らせた人間、原爆を使った人間、原爆を使わせた人間、これは人間じゃない」
どんな病気でも、発症してすぐに適切な治療をするのが本当だ。しかし、日本では占領する米軍の情報隠蔽、日本政府の愚鈍な対応のために、被爆者はみな塗炭の苦しみを背負わされた。
オーストラリア人のフリージャーナリスト、バーチェットは瓦礫の上に座り、ヘルメスのタイプライターを打ち始めた。 彼の報道が始まった: 「ヒロシマでは、史上初めて落とされた原子爆弾が街を破壊し、世界を驚愕させてから30日が経過しているが、現在でも住民の死亡者が増加しつづけている。怪我をしていない人々は、原子の伝染病としか表現しようのない未知の大異変に襲われている」
彼は文字を打ち続け、今日まで脳裏に刻まれることになる言葉を続けた: 「ヒロシマは、爆撃された都市には見えない。まるで巨大なローラーの化け物が通り過ぎて、存在する全てを押しつぶしてしまったかのようだ。私はこれらの事実を、世界への警告として伝達されることを願い、可能な限り冷静に書き記しておこうと思う」
バーチェットの記事は、「原子の伝染病(THE ATOMIC PLAGUE)」という見出しで、1945年9月5日に、ロンドン・デイリーエクスプレス紙に掲載された。この記事は世界にセンセーションを巻き起こした。
「ヒロシマに到着したら、25から30マイル四方(約49キロ四方)は見渡せる。建物ひとつ建っていない。このような人類による破壊の惨状を目にすれば、誰でも吐き気を催すことだろう」
バーチェットの煽情的な、独立した報道は、米軍にとっては大失態だった。マッカーサー将軍はジャーナリストが爆心地に近づくことを必死で禁止し、米軍の検閲はより厳格になり、恐怖を伝える報道は抹殺された。公式の報道では、原爆による住民被害は過小に評価され、被爆による死亡は断固として隠蔽された。
米軍はヒロシマ原爆投下直後に記者会見を行い、人的被害については過小報告し、代わりに爆撃地が軍事・工業地として重要であったことを強調した。 ファーレル准将は1945年9月、急遽記者会見を行なって、こう語った。 「広島・長崎で死すべきものは、すべて死に絶えた。もう放射線による危険はない」 その後現在もまだ何十万人の被爆者が原爆症で亡くなっている。
なんとファレル准将は、東京についたとたん記者会見をした。広島も長崎も被爆者も、その目で一度も見ないまま、「安全宣言」を行なったのだ。
被害を取材した記者たちは口を塞がれた。 シカゴ・デイリーニュースのジョージ・ウェラー記者は、ナガサキに潜入し、そこで目にした悪夢を25,000文字の記事にした。 そして彼は致命的な過ちを犯した・・・記事を軍部の検閲官に渡したのだ。 彼の新聞社はその記事を受け取ることがなかった。ウェラー記者は、マッカーサーの検閲に直面した体験を、後にこう締めくくった。 「奴等の勝ちだ」
ヒバクシャ・ヒロシマ・ナガサキの地獄を世界中の人に知られたら、アメリカ合衆国は「原爆投下は戦争を終わらせるためのやむをえない犠牲だった」などという陳腐なセリフを述べることはできなくなったろう。戦勝国でありながら、半永久的に世界から軽蔑され続けたろう。
占領米軍の東京・広島・長崎報道についての検閲は熾烈を極めた。日本政府は、米軍に、占領軍に、抗議をしなかった。 世界の人々は、10年以上何も知らされなかったのも同様だった。
被爆の実態を隠された日本の医師たちに、自分の患者が被爆者かもしれないと気づけ、とか、放射線障害の治療をしろというのが、土台無理な話である。
その結果、苦しみぬいて原爆症の被爆者は死に続けた。 |
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