| 小・中・高時代 | 60年、日本児童劇団に入団し芸能界に入るきっかけとなる、併せて歌、踊りのレッスンに通う。 学校では陸上、バスケットボールの選手として活躍。 66年、日本音楽学校入学、かたわら東宝芸能学校にも入学。 |
| ティーンズ時代 67〜 | 高校在校中に竹部董舞踊団のダンシングチーム「ティーンズ」のメンバーとなり芸能活動を開始。テレビ、コンサート、CM等で活躍。メンバーの一人は後にゴールデンハーフのメンバーとなる。その後チーム名をハニーポピーズと改名しリーダーとなる。 |
青い三角定規時代 70〜
| いずみたく先生のオールスタッフプロダクションが新しいフォークグループを結成することになり、オーディションを経てメンバーとなる。高田真理(マリ)岩久茂(クモ)西口久美子(クーコ)の男二人、女一人のグループ「青い三角定規」の誕生、レッスンに明け暮れる。
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| 青い三角定規時代 71〜 | デビューシングルは「翼を忘れた天使たち」、そして翌年「飛び出せ青春」の主題歌「太陽がくれた季節」が大ヒットとなり、レコード大賞新人賞、新宿音楽祭銀賞他、日本歌謡大賞等々で受賞しNHKの紅白歌合戦に出場。 |
| 青い三角定規時代 〜73 | コンサート、テレビ、ラジオ、レコーディングなど分刻みのスケジュールが続く毎日。 「太陽がくれた季節」が100万枚を超す大ヒットとなり、「青い三角定規」の単独コンサートを行う。 S48年10月「青い三角定規」を解散しソロ活動に入る。 |
| 73年〜 | ソロとしてのレコードをコロンビア、ビクターからリリース。 歌手活動以外にもテレビドラマ、映画、ミュージカルに出演。またテレビ番組の司会、リポーター、MC、アテレコなどを行う。 76年にはアメリカ建国200年のマスコットガールとして活動しハワイのカハラヒルトンでのダニーカレキニのショーに出演。 |
| 80年代前半 | 82年、ポリドールに移籍し、ポーラ化粧品のCMソングとなる「きみは春告げ鳥」をリリース、その後クーコ初の同曲を含むLPを発売。バックバンドの「スクランブル」を結成し、ライブ、コンサート、学園祭に出演。翌年、鈴木自動車のCMとなる「蘭咲きました」を発売、続いて2枚目のLPをリリース。 スクランブルのメンバーの内3名は後に「虎舞竜」のメンバーとなる。 テレビ映画では「大戦隊ゴーグルファイブ」に出演し初めての悪役を演じる。 |
| 80年代後半 | ソロ活動は、クーコが好きなオールディーズ、ポップス中心のステージをライブハウス、ホテルラウンジで行う、バンドは「レイアウト」となる。 また、横内美知代とのアダルトデュオ「SHAGGY」を結成し「街にはあぶない霧が降る」を発売。 日本初演のブロードウェイミュージカル「アニー」に出演。 |
| 90年代前半 | 自身初となる「西口久美子ディナーショー」を夏に六本木プリンスで行う、バンドは「Notice」となる。 その冬から、その後毎年恒例となる「西口久美子クリスマスディナーショー」を始める。 |
| 90年代後半 | ソロ活動のかたわら西口久美子・伊丹幸雄・あいざき進也の3名のユニット「Looking for the paradise」を結成し「Revolution」「光と闇のボーダーライン」の2枚のシングルCDを発売。 ミュージカル「アニー」に2年連続でリリー役で出演。 |
| 00年代前半 | 福岡でのJAZZフェスティバルに参加し初めてJAZZミュージョシャンと競演。 01年、西口久美子デビュー30周年記念ディナーショーに27年振りで「青い三角定規」メンバー全員が同じステージに立つ。 (株)アール・エフのテレビコマーシャルに出演、イメージソングも歌う。 02年、自宅が全焼しレコード、写真等々全てを失う。
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| 05年〜 | 06年、毎年12月に行うディナーショーに加え6月に夏バージョンとして、カジュアルなディナーショーを始める。この年はデビュー35周年にあたり、「青い三角定規」の年末の再結成を目指し準備を始め3人で歌番組、NTV24時間テレビにも出演。 その後メンバーの一人に不幸な出来事があり中止。 35周年を記念して9月5日(クーコの日)には約200名の参加者によるゴルフコンペを行う、12月には35周年記念ディナーショーを行う。
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