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きたおか接骨院
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<道場所在地>
宮城県仙台市宮城野区
  岩切字昭和北2-15
 TEL:022-782-7780
 (きたおか接骨院)


練習日時

<柔道>
■水曜日
 18:30〜21:00
■土曜日
 18:00〜21:00



− HP管理者 −
有限会社
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道場長のひとり言
「北岡道場」道場長の日記です
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最新ログ一覧
あれから・・・1年  (2012/03/07)
『ありがとう』  (2012/01/30)
大人になった時に・・・  (2012/01/24)
『北岡道場杯』  (2011/12/26)
「大好き」であってほしい・・・  (2011/12/20)
ありがとう!!  (2011/12/15)
この先の、お楽しみ・・・  (2011/12/02)
あれから・・・1年 No.11 - 2012/03/07
昨年の3月11日、東日本大震災から、もうすぐ1年が経とうとしてる。

あの日・・・私は、接骨院で診療に当たっていた。
幸い、明美も心颯も心和も接骨院におり、長い長い揺れが続く中、あいつらを建物の外に出し・・・続いて、80歳代の女性患者様を抱きかかえて外に出した。

揺れが収まってから、院内に入ってみると・・・
カルテラックが倒れ、カルテが散乱し・・・ベッドや医療機器は、とんでもない場所まで移動しており・・・本や書類は散乱し・・・まさに「足の踏み場もない」状態であった。

悠葉とRENのことが気になりつつも・・・生まれて初めての経験であったため、それほどの危機感がなく、明美に「院内の片づけをしてから帰るから・・・先に帰って、悠葉とRENを見てきてくれよ」と言ったように記憶している。

しかし、周りのただならぬ空気が、私の危機感をあおってくれ・・・やはり、明美と共に、自宅に戻ることにした。


信号が止まっていたため、車は大渋滞。
電話も繋がらず、悠葉とRENのことが、気になって気になって仕方がなかった。

いつもなら、20分程度で帰れるはずの距離が・・・1時間強掛って、やっとの思いで自宅に帰りつくことができた。

悠葉とRENは、家の駐車場に腰を下ろしており・・・彼らを見た時、ものすごい安堵感に包まれたことを覚えている。
明美も同様に、安堵感からだろう、涙を流しており「良かった、良かった」の声が震えていた。


自宅の中も、当然・・・ガタガタ。
とにかく・・・ガタガタ。
靴のまま入らないと、怪我をするのは間違いないほどの・・・ガタガタ。

掃除機も使えないし・・・拭き掃除もできない・・・えげつないほどの余震で、まだまだバンバン揺れる・・・落ち着いて、座る場所さえ確保できない状況。
おまけに、雪まで降ってきやがったので・・・とりあえず、何も落ちてくるものがないであろう、道場に行くことにした。

東北地方の3月・・・夕暮れは早く・・・PM5時頃には、辺りは暗くなり始めた。

停電・・・・・
辺りに、灯りはまったくなく・・・走っている車のヘッドライトの明かりだけしかなかった。
当然、暖房器具は使えず・・・家族6人、毛布にくるまり、身を寄せあって、凍えるような一夜を過ごした。


朝早くに、目を覚ました私は・・・車のテレビで、津波により大変な被害状況になっていることを知った。
そんな中・・・携帯電話に、数件の留守番電話を知らせる、メッセージが飛び込んできた。
電波状況が悪く、溜まっていたメッセージが、うまく噛み合えば届いてくれるような感じだったのだろう。

親父からだった。
「耕太郎・・・連絡くれよ」
「どないしてんねん・・・電話くれよ」
・・・・・震えた声で、何度もメッセージが入っていた。

大阪では・・・当たり前に電気が通っており、当然テレビも見れる。
情報は、十分すぎるほど・・・映像を通して、確認できていたのだろう。
仙台の地理を、まったく分からない、親父とおふくろは・・・おそらく、一晩中寝ずに、気を揉んでいたのだと思う。

ダメ元で・・・親父に、電話をしてみた
昨晩・・・いろんな人に、何度も何度も電話をしてみたが、まったく通じず。
半ばあきらめモードで、掛けてみたのだが・・・・・奇跡的に繋がった。

親父は・・・「良かった 良かった」
それだけの言葉を発するのが、やっとだったようで・・・ただただ、泣いていた。
おふくろにも換わってもらったが、やはり同じで・・・ただただ、泣いているだけだった。

地震の後、自宅に戻った際・・・私と明美が、悠葉とRENを目にした時の安心感・・・まさに、それと同じ感覚だったのだと思う。

「私は、いくつになっても・・・この人たちの『子供』なんだなぁ〜」って・・・当たり前のことを当たり前に、しみじみと感じた一日だったなぁ。





あれから・・・1年。

自分自身の価値観は、すっかりと変わってしまった。
すべての物事を、客観的に見るようになった。
目の前の小さな世界に、どっぷりと浸かることがなくなった。
つまらないことで、身を縮めることがなくなった。
「当たり前」のことを、「当たり前」と思うことが少なくなった。
「大切な人」の大切さを、日々感じるようになった。

何気ない暮らしの中にこそ・・・「幸せ」が、たくさんあるのだと思う。


「人生、一度きり!  悔いのないように!」


『ありがとう』 No.10 - 2012/01/30
昨日・・・山形県で開催された「全国高等学校柔道選手権 東北地区大会」に、宮城県代表として悠葉(長女)が出場するため、応援に行ってきた。

結果は・・・2回戦敗退に終わった。

初戦は、「袖つり込み」で、一本勝ちしたものの・・・
続く2回戦・・・右の相四つで、釣り手を落とされ、得意の「背負い投げ」を、一度も出すことが出来ず、GSの末に・・・3−0の判定負けだった。
お互いに、決め手は欠いていたが・・・終始、相手のペースで試合が進み・・・判定は、文句なしに相手の勝ちであった。


攻め方によっては、負ける試合ではなかったかも知れないと思うし・・・見ていた私自身、歯がゆさ故、所々で体に変な力が入るシーンも多く見受けられた(笑)



試合が終わった後、悠葉と会った。
そして・・・私は、彼女に言った。
「ありがとう! こんな場所まで、試合を観に来れたことは、俺とママにとっては、すごい幸せなこと。 お前自身も、こんな場所で戦うことが出来たことは、本当に感謝すべきこと。 お前の日々の頑張りを、この場所で見せてもらうことが出来て、本当に良かった。 ホンマに、ありがとう!」
彼女を見ていたら・・・ごく素直に、こんな言葉が出ていた。


数年前の私なら・・・「嫌やったら、持たれてる釣り手を切って・・・足を動かして・・・もっと攻めんかっ! 右も左も、使えるやろっ!? 考えて、柔道せえ!!」と、言っていたかも知れない。

しかし・・・戦っているのは、彼女。
それが出来るのなら、すでにやっている。
増して、それが思うようにできるのであれば・・・すでに、チャンピオンになってる。

思うように出来なくて・・・練習してきたことが出せなくて・・・勝てなくて・・・・・一番悔しい思いをしているのは、悠葉自身。
その彼女に、ダメ出しをするつもりなど・・・今の私の考えの中には、これっぽっちも存在しない。

この場所に、連れてきてくれたことに・・・この畳の上に立つことが出来たことに・・・日々、必死になって頑張ってきたことであろう彼女に・・・ただただ、「ありがとう!」
時に、結果が残れば・・・それに付け加えて「おめでとう!」
ただ・・・それだけでいいと、私は思っている。


彼女には・・・いや、彼女だけではなく・・・RENにも、SOにも、YAMATOにも・・・そして、道場の子供達にも・・・・・
『心』という、目には見えない、大切な大切な部分を育んでもらうため・・・彼らを認め、彼らの『心』を包んでやれる、そんな存在でありたいと、私は思っている。
大人になった時に・・・ No.9 - 2012/01/24
今から11年前、30歳の時に、私は接骨院を開業した。

数年後・・・事業拡大のため、そして昔からの夢だった「道場」を建てるのに、事業資金が必要なため、会社を設立した。


大学卒業後、4年間勤めた綜合警備保障(ALSOK)を、26歳で退職し・・・接骨院をするために、専門学校に通った。

女房がいて、子供がいて・・・27〜28歳でありながら、学生である以上、定職には就けなかった私は・・・・・同年代の主婦の方々(バイト先の同僚)には、バカにされ(ご自身のご主人と比べてのことだと思うが)・・・バイト先の、数歳違いの上司からは、ことごとく足蹴にされ・・・社員の方々からも、接していただく態度から、本当に見下されているのが、手に取るように分かった。

その時、毎日のように思っていたことがある。

「今に見てろよ、この野郎!」

その言葉、その思いだけが・・・当時の自分を支えており、そして、数年後を夢見て、フルに頑張れる活力になっていたのは間違いなかった。

最近でこそ、「おっさん」になってしまったが・・・若い頃は、結構ギラギラした眼をしており・・・「絶対に、這い上がってやる!!」・・・それしかなかったような気がする。


最近・・・ふと思うのは、私だけだろうか?
「ギラギラした眼をした奴が、少なくなったなぁ〜」って・・・



私は、柔道では一番になれなかった。
しかし・・・その分、社会に出てからは、ガチで頑張ってきたという自負がある。
今現在、「勝負」という世界の中に、身を置いているわけではないが・・・私自身、「負けた」と感じたことは一度もない。

26歳の時、柔道(勝負)の世界から一線を引いて以来、「ゼロ」どころか「マイナス」の状態から、ここまで走り続けてきた。
その間、親に援助をしてもらったことは、一度もない。
大学まで行かせてもらって・・・その流れで、大きな企業に就職までできたのに・・・それを、自ら放り出してまで、選んだ道なのだ。
親父に、「援助してください。」とは、口が裂けても頼めなかった。意地だった。
だからこそ、誰も頼ることが出来ない、見知らぬ土地「仙台」で、我武者羅に走ってこれたんだと思う。

一番にはなれず、「柔道」の世界に、生涯身を置くことが出来ない人間の負け惜しみなのかも知れないが・・・たとえ、そうであったとしても・・・私自身、誰に恥じることなく、今現在生活が出来ている。


だから、私は・・・
子供たちに、「将来、ギラギラした眼で、我武者羅に走り続ける」ことができるよう、「柔道」を通じて、大切なことを学んでほしいと願っている。

「勝敗」も、確かに大切だが・・・それを取っ払った時、柔道を通じて、「子供たちに何を指導してやれているのだろう?」と幅広い目で見渡してみると、一目瞭然、今何をしてやらなければならないのか?が見えてくる。

今は、きっと分からないだろうが・・・
彼らが大人になり、今を振り返ってくれれば・・・絶対に大切なことを、理解してくれることと思う。

だから、私は・・・今のままのスタンスで、彼らに「想い」を伝え続けていこうと思っている。
『北岡道場杯』 No.8 - 2011/12/26
12月23日(金)に・・・毎年恒例の『第6回 北岡道場杯』を開催した。
『北岡道場杯』って、ごっつい聞こえはええけど・・・実は、幼稚園児・小学生・中学生・OB・大人(もちろん私も)が、ごちゃ混ぜになった、1DAYトーナメントやねん。

いつからか?・・・通称:「中学生以上は、空気を読まなアカン大会」ってゆわれてんねんけど・・・
中学生とか大人が、小学生・幼稚園児と当った場合・・・2分間の試合時間をフルに使って・・・最初は、「有効」とか「技有り」とか、ポイントを取るねんけど・・・「最後の最後で、きれいに舞って負ける」ってゆうシナリオが出来上がってんねんな

だから、審判も大変よ(汗)
オモシロおかしく、試合を進行していかなアカン!
上級生が下級生を、試合時間前半で抑え込んだりしたら、引っ張って解けさせたり・・・
「空気を読まない『警告』」とか・・・
「技、掛けすぎ『注意』」とか・・・
挙句の果てには、上級生が最初にわざとポイントを取られて、最後の最後まで、下級生がチョッコマチョコマカ動いて取り返されへん勝った場合でも、上級生の「名誉勝利」とか・・・
要するに・・・「お祭り」やねん(笑)


ただ、ベスト8以上は・・・ガチンコやねん!

今年の決勝は・・・NATUMIとSATOMI!

NATUMIは・・・体重が中途半端やから、ギリギリのラインで重量級に参加せざるを得えへんもんやから・・・大会で入賞こそなかったけど、実力はお墨付き。
多分・・・中学校で体重別になったら、おそらく宮城の代表になるやるやろうってゆう娘。

SATOMIは・・・「全国小学生学年別柔道大会 宮城県予選」軽量級で準優勝・・・先日開催された「宮城県チャンピオン大会(体重無差別の大会)」でも準優勝の実力者。
多分・・・この娘も、中学校では県の代表になると思う。

結果・・・・・試合時間終了間際に、NATUMIが、内股で一本勝ち!!

監督の俺自身も、ここ2年くらい・・・SATOMIが、同じ階級くらいの女の子に、きれいに舞わされるシーンなんか、見たことがなかったから・・・正直、NATUMIの内股にはメチャメチャ驚ろかされた。
宮城県準優勝者をも、きれいに舞わしてしまうんやから・・・この先が、楽しみやわ(^O^)
(ちなみに、NATUMIは晃(悠葉の親友)の妹。
晃が道場に入門して頑張ってたけど・・・「RENが怖いから・・・(RENは・・・学校ではワルの部類やから)」ってゆう理由で、かたくなに入門を拒み続けてた、メチャメチャお茶目な娘やねん(笑))



そんな感じで・・・大会は大会で、泣き笑いが入り混じってやねんけど・・・

俺にとって、この日は・・・1年間の思いが次から次へとこみ上げてきて・・・ボロ泣きしてしまう日やねん(^_^;)(^_^;)(^_^;)
卒業生が来てくれて・・・みんなの前で紹介してたら、嬉しさがこみ上げてきて(頑張ってるし、成長した、そいつの姿見て)・・・・・ボロ泣き(泣)
毎年恒例の最優秀賞、優秀賞、努力賞の発表の時は・・・その子たちの1年間が思い出されて・・・・・ボロ泣き(泣)
最後の挨拶も・・・生徒みんなの、日々の一生懸命な顔が思い出されて・・・・・ボロ泣き(泣)

みんなには・・・「また、先生・・・泣いてるっ〜!!」って、メチャメチャ、バカにされるねんけど・・・・・
でも、あいつらを見てたら「かわいくて・・・嬉しくて・・・」・・・堪え切られへんわ(泣笑)


そんな感じで、道場の今年一年が、締めくくられた。

今年は、「東日本大震災」」があって・・・ホンマに、どうなることか?と思ったけど・・・なんとか、年を越すことが出来そうや。

来年は・・・「北岡道場」の子供達、どんな感動を俺に与えてくれるんやろう???
一歩一歩・・・一日一日・・・一年一年・・・素晴らしい「大人」になってくれるよう、日々辛抱し、日々努力し、日々精進し、成長していってほしいなぁ〜って願う!



「北岡道場」の子供達!!
今年一年、感動と興奮を・・・ホンマ、ありがとうございました!!
「大好き」であってほしい・・・ No.7 - 2011/12/20
12月17日(土)に、全国高校選手権大会?(3月に、日本武道館で開催する試合)宮城県予選があった。
私は、仕事で観に行けなかったのだが・・・

『北岡道場』の卒業生、北岡悠葉が・・・−63s級に出場し、決勝戦で敗れたものの、準優勝して帰ってきた。
決勝戦は、同じ高校の先輩(インターハイ ベスト16)に、軽くひねられたらしいが・・・

−63s級は、中学時代の東北チャンピオン(同級生)、また、同校の先輩も数名いる階級なので・・・本人曰く「大変」な階級のようだ。(高校に行ったら、「大変」じゃない階級なんかないけど・・・(^_^;))

しかし・・・1年生ながら、準優勝してきたのには、ちょっと驚いた。



悠葉は、決して「上手い」柔道選手ではない。
センスが、あるわけでもない。
また、ずば抜けた「才能」を、持っているわけでもない。

この場で、何度も書いてきてるように・・・中学校3年生の時こそ、全中に出場したが、小学校時代など、「数年後、悠葉が全中に出場する」「数年後、悠葉が選手権予選で準優勝する」なんて・・・親の私でも、想像すら出来ていなかった。

中学校3年生で、全中に出場した時も・・・学校に部活があるわけでもなく、週2回の道場の練習に参加するだけで、しかも、小学生との練習が半分となる中で、宮城県の代表枠を勝ち取ってきた。
(もちろん、勝ちたいが故に・・・本人は毎日毎日、自らの考えで相当な距離を走っていたようだが・・・)

中には、「北岡先生、きっちり仕上げてきたね!」と言ってくださった先生もいらっしゃたが・・・実は私は、悠葉が中学校3年生になってから、全国大会出場枠を勝ち取るまで、個別指導したことは、たったの一度もない。
それどころか、彼女と乱取りをしたのさえ・・・予選の前日、道場の練習で、ラスト一本の時、彼女が余っていたから、何気なくやったのが・・・最初で最後である(^_^;)

ただ彼女は・・・『「人一倍、柔道が好きで・・・人一倍、負けず嫌いで・・・人一倍、努力をする」選手』ということだけだろうか?
それだけで、勝ち上がったと言っていいとさえ思う。



私は思う。
小学校時代、ある程度の結果を残していた選手も・・・
小学校の時は、まったく目立たなかった選手も・・・
高校生くらいになれば、大抵は同じくらいに揃ってくるであろうと・・・

第二次性徴を迎え、身長が伸び、筋肉が体にまとい・・・そうすれば、大抵の選手は、「どんぐりの背比べ」になる。
あとは・・・「本人が、どれくらい柔道が好きか? どれくらいの「辛抱と努力」をするのか?」だと思う。


幸いにして・・・今、北岡道場に在籍している高学年以上(特に中学生)は、私は何も言わずとも、本当に一生懸命取り組む連中ばかりだ。
(では、低学年はやらされているのか?と言えば、そうではなく・・・彼らは、まだ体作り、そして遊びの延長に過ぎない。)
私(監督)に、やらされてる・・・親に、やらされてる・・・感を持っている子は、誰一人としていない。
もちろん・・・「何よりも、練習中に笑顔が絶えていない」ことが、何よりも私は誇らしくさえ思っている。

北岡道場のみんな!!
どうか・・・悠葉のように、「柔道が大好きで、自分の置かれている環境で、最大限の努力をし、自分の目標に一歩ずつでも近づいていけるような」・・・そんな『人』になってください!
私の元にいる間は、「柔道の楽しさ、素晴らしさ」を、たくさん学んでくれるだけで結構です!



悠葉に限らず、私自身も・・・小学校・中学校の時など、『柔道』の『じ』の字にさえ引っかからなかった者でも・・・高校で辛抱し、大学で努力し、実業団で「小さな華」を咲かすことができた。
日本一には、なれなかったが・・・「講道館杯」という大会でも、戦うことができた。

今の私を支えてる、柱の中の一本は・・・・・
小学校時代の結果などでは、まったくない。
そしたら、実業団の時の結果なのか?

・・・・・・・・・・違う!

『「自分自身が掲げた目標に向かって、あらゆることを犠牲にしてまで、心底、精進した!」という、プロセス』・・・それこそが、今の私を支えてる柱の一本になっているといっても過言ではないと思う。


だから、子供である今は・・・「心から、柔道を楽しんで・・・そして、柔道が大好きであってほしい」と・・・・・私は願って止まない。
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